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日本語ひとくちエッセイ

忘れえぬ言の葉(11)
阿部 由美子(東海大学湘南校舎国際教育センター非常勤講師(日本語教育))

2012年11月

「顔が重い」

日本人の口から出た言葉ではない。日本語を能(よ)くする友人だった韓国人の花嫁が、結婚式の後の友だちきりの会食の席で、晴れの日の化粧を落として、わたしに言った言葉である。
 「愛利子」と書いて「エリザ」と読ませる名を持つ花嫁は、クリスチャンで、言語習得のセンスに恵まれた人だった。
 当時、釜山に住んでいたわたしは、日本人の友人を介して、大学生だった彼女に出会った。友人が彼女に日本語を教えていたのだ。彼女の家が、当時わたしの住んでいた、山の上の大学教員宿舎と近かったせいで、その後、頻繁に行き来した。
 彼女は、父親譲りのすらりとした長身で、くるぶし近い丈のフレヤースカートがよく似合った。パーマっ気のないさらさらの黒髪は、当時のきつめのパーマ全盛の韓国では、相当に珍しく、その上、これっぽっちの化粧っ気もない人だった。
 その声も、自然な黒髪や素顔を好む彼女に似つかわしく、高からず低からず、舞台の上で黒子が作る布の川のように、どこといって澱みのない、気持ちのよい声だった。
 友人とするには、まったく素直なよい人で、彼女が大学を卒業しても、つき合いは続いた。彼女のうちに電話をすると、電話を取り次いでくれる彼女の母親が、電話の奥で「エリザヤー」と、子どもを呼ぶときの「ヤー」をつけて娘に呼びかけているのが聞こえ、またその声が優しくて、彼女の家庭環境が察せられるのだった。
 その彼女に結婚話が持ち上がった。お相手は歯科医で、これまた、素直な人のようだった。話はトントン拍子に進み、十一月末の結婚式となった。
 韓国で正月といえば旧正月。新暦の正月にはなんの有難味もなく、そして、旧正月とともに、みな一斉に「お年取り」をして、ひとつ年を重ねる。となると、一歳でも早く結婚を、と願うのが親心で、大体旧正月は、新暦の上では、一月か二月にくることになっているから1)、前の年の年末から旧正月の元日直前までが、結婚式ラッシュとなる。
 「結婚する」ということは、みなにお披露目をする「結婚式をする」ことにほかならない韓国では、結婚式なしの結婚などあり得ず、どうかすると、「年末」の結婚式場は、三十分に一組の割合で、カップルが誕生する慌しさである。新暦・旧暦を問わず、大晦日の結婚式も珍しくない。
 さすがに結婚式では化粧させられたらしい十一月の花嫁の彼女だったが、夕方近くにわたしたちと会ったときには、いつもの素顔に戻っていた。疲れて席につき、両頬を手のひらで包みながら、彼女は、「まだ、顔が重いの」とつぶやいた。これも結婚式ともなれば、厚化粧全盛の頃だったから、大変だったのだろう。
 その後、三児の母となっても、結婚前と何一つ変わらなかった彼女とは、ここ十年ほど便りを交わしていない。しかし、会いたいと願っていれば、いつか偶然会えるという経験を重ねた今、老女となってもさして変わらぬ彼女を思い描いて、特に探すこともない。
 註1)太陰暦である旧暦は、毎年、暦が変わるので、元日の日付も毎年異なる。

阿部 由美子(あべ ゆみこ)
東海大学湘南校舎国際教育センター非常勤講師(日本語教育)
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