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日本語ひとくちエッセイ

忘れえぬ言の葉(21)
大本 泉

2013年6月

「天ぷら」

学生時代、神保町にある天ぷら屋によく行った。古本屋を歩きまわると、小腹がすく。そこでは、ちょっとした喫茶店のコーヒー一杯とほとんどかわらない値段で定食を出していた。天丼のみのメニューになったようだが、今も健在の店である。その後、近くにある、池波正太郎がよく通ったホテルの天ぷらも知った。絶品である。どちらの店にも魅力がある。
 天ぷららしき料理を最初に食べた日本人は、徳川家康だろうと言われている。家康は、京都で流行っているという胡麻油(榧油という説もある)で揚げた鯛に蒜を掛けた料理を食べたところ、腹痛をおこし、三か月程寝込んだ末に亡くなっている(1616年4月17日)。鯛の素揚げのようなものだったのだろうか。家康の亡くなったきっかけは、鯛の天ぷらだったということになる。
 天ぷらのルーツは、南蛮(ポルトガル・スペイン)から渡来してきたものと捉えられている。フリッターという西洋料理があるので、それに似たものだったのだろうか。少なくとも、現代私たちが口にするような、ころものついた形の天ぷらは、18世紀半ばには完成していたようである。魚貝類はうどん粉をまぶし、その他の野菜類はうどん粉と醤油をまぜたもの、あるいはくず粉でくるんだものを揚げたものとわけていたという。
 天ぷらということばは、ポルトガル語から生れたとする説が有力である。カトリックでは、年に四回、それぞれ3日間祈りを捧げ、鳥獣肉を避けて節食するtempora(s)(四季の斎日)という慣習がある。来日した宣教師が、この時期に魚を油で調理したものを食べた可能性は高い。
 また、ポルトガル語のtemperoには薬味や調理等といった意味があり、temperarには調理する、味付けをする等といった意味がある。直接的にではないが、類似した意味をもつ語が派生していったことも考えられるだろう。
 さらに、temploには、寺院という意味がある。たしかに教会と寺院とは別個なものだが、宗教という意味ではかけ離れたものだとはいえない。
 つまりは、もともと僧侶が食べていた精進揚げと宣教師が食べていたものとが融合した料理を、異国語でテンプラと称したということであろう。
 さて「天麩羅」という漢字での当て字だが、これには諸説があるようだ。たとえば中国で使われていた「転不稜」、油(アブラ)という音を「天麩羅」としたもの、天竺浪人(「天竺」は「逐電(逃げること)」の逆さま語)が大阪から東京に駆け落ちした芸妓とぶらりとやってきて「つけ揚げ」を広めたので、山東京伝が洒落て「天麩羅」と書いたとする説等はおもしろい。いずれにせよ、「麩」は小麦粉で作られたものであり、「羅」はうすいものという意味がある。
 中里恒子の小説『時雨の記』では、中年男女の食べる「天ぷら」が、その恋愛の質を深めていく仕掛けになっていた。
 天麩羅は、いまや日本食の代表である。だが、もともとは異国料理の情緒があった。その語源に思いを寄せ、魚介を揚げる音に耳を傾けながら口にすれば、今まで以上に美味しい天ぷらとなるだろう。

大本 泉
仙台市出身。仙台白百合女子大学教授。日本ペンクラブ女性作家委員。専門は日本の近現代文学。著書に『名作の食卓』(角川書店)、共編著に『日本語表現 演習と発展』『同【改訂版】』(明治書院)、共著に『永井荷風 仮面と実像』(ぎょうせい)等がある。
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