ホーム > 日本語を楽しむ > 日本語ひとくちエッセイ > 世界から見た日本語コミュニケーション(2)「初めて会った人を何と呼びますか。」

日本語ひとくちエッセイ

世界から見た日本語コミュニケーション
荻原 稚佳子

2013年4月

「初めて会った人を何と呼びますか。」

みなさんは、家族や友達から、何と呼ばれていますか。名前でしょうか。名字でしょうか。それとも、ニックネームで呼ばれていますか。きっと誰から呼ばれるかによって、あなたは一人でもいろいろな呼び方をされていると思います。
 たとえば、私の場合、職場や仕事仲間からは「荻原さん」「荻原先生」と呼ばれ、学生からは(表向きは)「荻原先生」「稚佳子先生」と呼ばれます。家族や親戚、友人からは「稚佳子」「ちかちゃん」「ちこちゃん」「お姉さん」「東京のおばちゃん」などと相手によって様々に呼ばれます。レストランなどのお店では「荻原様」「お客様」と呼ばれることもあります。これらの呼ばれ方は、一体何によって違っているのでしょうか。
 もし初めて会った人から、「さん」も「くん」「ちゃん」もなく名前で呼ばれたら、皆さんはどう感じますか。会って10分もたっていないのに、「ちかこの趣味は何ですか。」と言われたら、日本語コミュニケーションでは少々戸惑います。
 また、後輩や明らかに年下だとわかる人から呼び捨てで呼ばれたらどうでしょうか。「なんて失礼な人なんだ。」と腹を立てる人もいるでしょう。
 逆に、レストランなどで、「荻原様、いつもご来店いただきありがとうございます。」などと、「様」をつけて呼ばれると、悪い気持ちはしませんよね。丁寧に言われてうれしい場面でしょう。
 でも、いつも名前で呼ばれている親しい友人から「荻原さん」と急に改まった呼ばれ方をすると、何があったんだろうと、驚いてしまいます。からかっているのか、「何か大変なことでも頼まれるのかしらと、構えてしまいます。
 つまり、呼び方にその人との親しさや距離感、改まり度が表れているのです。

 日本語コミュニケーションでは、相手の呼び方、つまり呼称が多様で、しかも相手によって細かく使い分けるのですが、これは非常に特徴的だと言われています。呼び方、呼ばれ方を聞いていれば、その人の上下関係や親疎の度合いがわかるのです。互いに相談したわけではないのに、その関係性によって自然に呼び方、呼ばれ方が決まっていくのです。

 呼び方、呼ばれ方は、その国によって違っています。タイでは、年齢の上下によって「○○おにいさん」「××おねえさん」という呼び方をして、上下関係を重視します。アメリカでは、初めて会った人でも、すぐファーストネームで「Tom!」と呼び捨てすることがあります。これは、名前で呼び合うことが、親しさだけでなく丁寧さを表すからです。ですから、大学でも、学生が教授をファーストネームで呼ぶということも珍しくありません。私もアメリカの大学院で経験しましたが、学生たちは著名な年上の先生に対してでも“Hi,John !"と呼んでいました。でも、私にはずっと違和感があり、大変尊敬している教授を最後まで名前では呼べず、いつも“Dr.Smith”“Mr.Molinsky”と敬称と名字で呼んでいました。アメリカではファーストネームで呼ぶのだと頭でわかっていても、相手に対する敬意を敬称と名字で長年表現してきた私にとって行動に移せなかったことの一つです。

 また、日本語コミュニケーションのもう一つの特徴として、肩書で相手を呼ぶということがあります。「先生」「社長」「部長」「駅長さん」「管理人さん」「看護師さん」「ケアさん」などと肩書や職業で相手を呼ぶのは、世界の中では珍しいのです。
 学校で先生のことを「○○先生」と呼んでいたと思いますが、先生はみなさんのことを何と呼んでいましたか。同じように「田中学生」と言ったでしょうか。同様に、「山田社長」と呼びかけることはあっても、「佐藤社員」「中山秘書」とは呼びませんね。「隆おにいちゃん」「知子おねえちゃん」とは呼びますが、「拓哉おとうと」「由美いもうと」とは言わないのです。これは一体どうしてでしょうか。
 もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、下の人から上の人に対しては肩書や職業で呼ぶことができますが、上の人は下の人に肩書や職業などで呼ぶことはないのです。というより、上の人は下の人を名前で呼べるけれども、下の人は上の人を名前だけで呼びにくく、敬意を表す意味で肩書や職業を呼称として使用していると考えたほうがいいでしょう。日本語文化では、敬意は相手を遠ざけることによって表すので、親近感を持つ呼び方は失礼にあたり、「名前さえも口にするのは恐れ多いという感覚なのです。

 その上、日本では「あなた」という2人称がありながら、直接相手に向かって「あなた」と呼ぶのは失礼です。夫婦間で「あなた」と呼ぶことはあっても、敬意を表すために名前でなく「あなたはどれになさいますか。」などと直接言われると、なんだか冷たい感じさえ受けます。どう呼べばいいかわからないときや相手の名前を失念してしまった時、英語だったら“you”を使っていれば、何とか切り抜けられますが、日本語コミュニケーションの場合はそうはいかないのです。だから、日本語を学び始めた人にとって、相手の呼び方は難しいものの一つです。
 名前を思い出せない人に対しては、とりあえず肩書や職業で呼んでおくといいかもしれませんね。

荻原 稚佳子
慶応義塾大学法学部、ボストン大学教育学大学院を経て、青山学院大学大学院国際コミュニケーション専攻博士課程修了。明海大学外国語学部日本語学科准教授。専門は外国人への日本語教育、対人コミュニケーションの言いさし(文末を省略した発話)、語用論。著書に、『言いさし発話の解釈理論―会話目的達成スキーマによる展開―』(春秋社)、『絵でわかる日本語使い分け辞典1000』(アルク)、『日本語上級話者への道―きちんと伝える技術と表現』(スリーエーネットワーク)などがある。
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