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日本語ひとくちエッセイ

世界から見た日本語コミュニケーション
荻原 稚佳子

2014年11月

「グリーン、シルバーって何のこと?」

11月に入り、年賀状のテレビ宣伝が始まったり、お節料理の予約のお知らせが来たりと、年末に向かっての動きが目立つようになりました。そんな何となく慌ただしさを感じるようになる頃、必ず送られてくるのが、今年度に収めた保険料のお知らせです。若い方には、あまり馴染みがないかもしれません。支払った保険料に応じて税金の控除がされるため、この時期になると、各保険会社は1年間に支払った金額を証明する書類を保険を掛けている人々に送ってきます。

 その保険の一つに「生命保険」のお知らせもありました。この「生命保険」という言葉、ちょっと気になりませんか。皆さんもご存じの通り、この保険は、もし病気などの理由で本人が亡くなった時に家族などに支払われる保険です。こんな話は縁起でもないと思われるかもしれませんが、いざという時のために多くの方が入っていると思います。ただ、この保険は、あくまでも亡くなった時のもので、生きている場合には支払われません。それなのに、「生命保険」というのは、実は変な名前の付け方だと思いませんか。
 若い方でも自転車事故などに備えて「傷害保険」に入っている方がいるかもしれません。「傷害」であれば、体の一部が傷ついたり、体の機能の一部が損なわれたりすることを意味しますから、「傷害」が生じた時の保険だと納得できます。また、「火災保険」なら「火災」で被害があった場合に保障してくれる保険なので、やはり納得できます。でも、「生命」の「保険」では、生きていることに対する保険という意味になり、他の名前の付け方に比べると、つじつまの合わない名前の付け方だと思いませんか。このようなつじつまの合わない名前では分かりにくいということから、最近、「死亡保険」という名前の保険も出てきているようです。
 でも、どうしてこんな名前がついたのでしょうか。もし皆さんが保険に入るとき、「死亡保険」という名前の保険を積極的に勧められたら、加入したくなるでしょうか。ましてや、家族や親に「死亡保険」に入ってほしいと勧めることができますか。きっと言い出しにくくて二の足を踏んでしまうのではないでしょうか。

 このような人々が避けたいような微妙な物事に対して、日本語では婉曲表現を使って直接口にすることを避けられるようになっています。
 たとえば、新幹線の「グリーン車」です。私はあまり利用したことがありませんが、どうして「グリーン車」と呼ばれているのでしょうか。それは、車両のサインが「グリーン」だからではなく、「普通車」や「二等車」ではない「一等車」「特等車」であるという格差を明確に示さないための婉曲表現だと言えます。特別待遇により生まれる差別感を生まないように、さわやかでクリーンなイメージのある「グリーン」という色を使って表現しているのです。
 また、最近発売されている様々な商品にも例があります。「エイジング化粧品」はその一つと言えます。「エイジング」という外来語を使用することでイメージが変わり、最新技術を駆使した効果の高い化粧品のような気がします。「エイジング」の日本語訳である「老化」ということばを使うと「老化化粧品」となりますが、きっと「老化化粧品」と名付けても、女性は誰も買わないでしょう。でも、「エイジング化粧品」と言うと、全く違った印象になり、たとえ年を重ねても努力をして美しく生きる女性のための化粧品という明るさと積極性が生まれます。
 同じように、電車の中の高齢者優先の座席を「シルバーシート」と呼んだこともあります。これも「高齢者」という直接的な表現を避けて、渋くて味わいのある色合いということからでしょうか、「シルバー」という色に言葉を変えて表現しています。年を取って体力的に弱者であるという否定的な見方から、様々な経験を多く持っている、まさにいぶし銀の人生の先輩という肯定的な見方に変わるようなイメージがあります。
 さらに、テレビコマーシャルでも目にすることが多くなった「キャッシング」ということばも婉曲表現の一つだと考えています。元々の英語の意味は換金することだったのですが、今では個人向けの小口融資の一般名称になっています。小口融資というと硬い言い方ですが、つまりは「借金」です。「銀行から借金をしている。」と言うと、何となく重々しく否定的なニュアンスがありますが、「今月は出費が多くてキャッシングした。」と言えば、なんだか少し軽やかな響きになる気がします。そこには、お金を気軽に借りてほしいという銀行の意図も感じられます。

 このような婉曲表現を通して、現代の人々が敏感になっているものが何であるのかもわかります。人々の「死」「老い」「格差社会」「借金」など、現実社会では避けて通れない深刻な物事ばかりです。けれども、それを直接的に捉えて問題点を明らかにするのではなく、少し表現を変え、前向きに対応できるようにしているのが、これらの婉曲表現だと言えるでしょう。使い方によっては、重要な問題点や本質を隠してしまうことにもつながるので、新しい婉曲表現を使う時は注意が必要なことばでもあります。現実を受け入れて明るく積極的に対応するための一つの方法として、日本語にはなくてはならない表現とも言えるのではないでしょうか。

荻原 稚佳子
慶応義塾大学法学部、ボストン大学教育学大学院を経て、青山学院大学大学院国際コミュニケーション専攻博士課程修了。明海大学外国語学部日本語学科准教授。専門は外国人への日本語教育、対人コミュニケーションの言いさし(文末を省略した発話)、語用論。著書に、『言いさし発話の解釈理論―会話目的達成スキーマによる展開―』(春秋社)、『絵でわかる日本語使い分け辞典1000』(アルク)、『日本語上級話者への道―きちんと伝える技術と表現』(スリーエーネットワーク)などがある。
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