忘れ得ぬ言の葉

八百万の神たちが出雲大社に縁結びの相談に集まるので、十月が「神無月」と呼ばれるようになったというのは、中世以降の俗説に過ぎず、実は「神の月」こそ本来の由来ではないかという。その十月は、我が家の末っ子の誕生月なので、今月はその子にちなむ言葉を二つ、とり上げようと思う。

この子が生まれたのは十月三十日の日曜日、正午ごろ陣痛が来て、夫は日曜出勤していたので、近所に住む夫の同僚にかかりつけの産科まで車で送ってもらった。痛みはありながらも経産婦の余裕で、夫以外の人に送ってもらうことをお互い笑いつつ、産科に到着。午後二時半にはするっと生まれた。

顔を見た瞬間、「あらまあ」と思ったのは、母方の祖父譲りの大きな目をもらった上二人の子たちとは、あまり似ていない面差しだったから。夫の特徴的な耳と、切れ長の目をもらって生を受けた女の子がそこにいた。

穏やかな性格の子で、空腹のとき以外は泣きもせず、「かわいい、かわいい」と皆で甘やかし放題。あんまりおっとりしているから、仰向けに寝かしっ放し、頭は絶壁、言うに事欠いて、皆して「栗饅頭」「蒸しパン」「おにぎり」と勝手にあだ名をつけて呼んだ。

長じてこの子は、年配の人に好まれる顔立ちになる。奈良の興福寺、国宝館におわす白鳳期の旧東金堂本尊にそっくりな眉と瞼を持つ娘は、人様によく、「東洋的美人」「古典的美人」のお墨付きを頂く。製造者の私は「白鳳美人」と聞くだけで鼻高々だが、現代娘の本人にとって面白くないのは、想像に難くない。

そんな白鳳期の仏像のような、これだけは祖父譲りの立派な鼻を挟んで、ちょいと距離を置いた娘の目の配置を、いつの頃からか、「岸離れした目」といい始めたのは母親の私。

「岸離れ」とは、露伴の娘、幸田文『父―その死―』の露伴の臨終間際の描写に見つけた言葉。

「しかと耐えた。額が暑かった。(※1)

身をずらせると、すぐそこに人々が私を囲んでいたことがわかった。小林さんには怒りのような表情が浮かんでい、松下さんの拳は唐手遣いのように握られ、土橋さんは青ざめ、その眼は岸離れするほど見開かれ、玉子の腕には粟粒が立っていた。みんなに分担してもらっているのだと感じた。」(※2)

露伴の『五重塔』を髣髴とさせる息詰まるような文体。その中で私の目を捕らえたのが、「岸離れする」の言葉。ありそうで聞き慣れないその言葉は、どこの辞書にも見つからず、いつしか、川を挟んで青草に覆われた、橋のかからぬ左右の河岸の光景として私の中に定着し、次女の目の配置の形容として、使うようになった。

もとの言葉の正確な意味も知り得ないまま、高校生の次女自ら「岸離れした私の眼」と言うとき、この使い方でよいのかしらと、ふと思う日が流れていく。

1) 原文ママ。「熱い」ではない。
2)『父―その死―』、幸田文、新潮社、2004年8月25日、94頁

阿部 由美子(あべ ゆみこ)

東海大学湘南校舎国際教育センター非常勤講師(日本語教育)