忘れ得ぬ言の葉

「夜垂れ桜」か、赤子の「ヨダレざくら」か、そんな言葉があっただろうか。いえいえ、辞書を繰り、頭を抱えるだけ無駄なこと、そんな言葉は存在しない、「岸離れ」した眼を持つ次女の創作である。

生まれたときから姉と兄、その友だちやらご近所に囲まれ、生後一ヶ月にもならないうちから昼間は他人様に預けられ、生後一年で姉兄と同じ保育所に移ると同時に、年長の子どもたちに揉まれた次女は、上の子たちに比して、言葉を口に出すのが早かった。一単語で発話した時期は短く、早くから「お水」ではなく、「お水ちょうだい」と二語文で話した。

この子はよい耳にも恵まれて、どんどんおしゃまな言葉を発したから、夫の母などは、「三人きょうだいの中でいちばん頭がいい」と太鼓判を押したほど。

ところが、年寄ると気は急いても足がついていかないのとちょうど反対に、舌足らずのこの子が、ときに大人の言葉を意味も分からず再現しようとすると、その発音が絶妙に自分の知っている語彙に置き換えられていて、家族を笑わせるようになった。その一つが冒頭の「ヨダレザクラ」。「しだれ」の音が、たらたら自分の流す「よだれ」にかわっている。

そんなことがしばしばあって、母親の私は、第三子を産んでから自分の物忘れがすっかり酷くなったのを自覚していたから、この貴重な体験を忘れてはならじと、次女のかわいい片言を一枚のA4コピー用紙の裏紙に書きとめるようになった。

何年かの間にいくつか書き留めてみて、耳年増のように大人の言葉を聞いたこの子の脳内で、どんな変換作用が起きているのか、だんだん理解が行くようになった。

いわく「玉の輿」は「玉子の輿」。「ソクラテス」は「サクラテス」。「ドライフラワー」は「カリフラワー」。「長い苦痛」は「長い長ぐつ」。「しどろもどろ」は「おどろもどろ」になり、「三銃士」は「十三し」、「バナナ」は最初この子にとって「ババナ」だった。

「枝垂れ」が、なじみの「よだれ」になるように、次女にとって「はてな」という部分の音が、そのとき現在、彼女の頭にある似た発音の単語に置き換わっていく様子が鮮明で、うーんとうならされた。

そのA4の紙は、今も私の手元にあって、次の言葉が書き加えられるのを待っているのだが、最近はそんなことも少なくなったような。それとも、次女の言葉を聞きとめる私の耳と感性のほうが、鈍ってきたということか。しかし、こんなメモができたのも、上の子たちとの比較があって、言葉の早い子だと気づいたから。末っ子とは、妙なものだ。

五人家族の我が家で、ただ一人左利きで、ただ一人血液型がABで、ただ一人お父さん似で、と「ただ一人」がついてまわる次女は、いつまでも「赤ちゃん」扱いされて不満も言わず、その巧まぬ笑顔で我々ふた親を楽しませてくれている。

阿部 由美子(あべ ゆみこ)

東海大学湘南校舎国際教育センター非常勤講師(日本語教育)