ホーム > 日本語を楽しむ > 日本語ひとくちエッセイ > 世界から見た日本語コミュニケーション(11)「らっしゃいませ!」

日本語ひとくちエッセイ

世界から見た日本語コミュニケーション
荻原 稚佳子

2014年2月

「らっしゃいませ!」

2月に入り、大学では学年末試験の真っ最中です。学生にとっては試験やレポートに追われる毎日です。
 ただ、この試験期間が終わると、大学生は長い春休みに入ります。最近は、がっちりアルバイトでお金を貯めて、自分の好きなことに使う人が多いようです。アルバイトは、春休みだけでなく、大学生ならかなりの人が日常的にやっています。留学生も例外ではなく、自分のお小遣いというよりは、学費と生活費のために一生懸命働いている人が多いのが現実です。

 そのアルバイト先で使われていて問題になっているのが、いわゆるバイト語です。
 レストランで、「ご注文はケーキとコーヒーでよろしかったでしょうか。」と注文の確認をしたり、料理を運んできて「こちらスペシャルランチになっております。」とテーブルに料理を置いたり、レジで「1,000円からいただきます。」と受け取った金額を伝えたりするという言い方です。どれも間違った言い方で、注文確認なら「~でよろしいでしょうか。」、料理を出すときは「~でございます。」、お金を受け取ったら「~円お預かりします。」と言うのが正しい言い方です。アルバイト先では、みんなが誤った言い方をしているので、その言い方を身につけてしまうようです。そういう言い方を聞くと、私はついつい注意したくなりますが、ぐっと抑えて心の中で「違うでしょ!」と叫んでいます。
 アルバイト先の言い方が身についてしまって困るというのは、実は、留学生にもあることです。誤った表現を使う場合もありますが、留学生であるために身につけて使ってしまう場合もあります。

 ある時、1年生の外国人学生が質問に来て、研究室を出るときに「お先に失礼します。」と言って出て行きました。「えっ、お先に?」と思わず言ってしまいました。その学生は来日して日も浅く、アルバイトをしながら学生生活を送っていました。
 彼女が居酒屋でアルバイトを始めたのを思い出して、「お先に」の意味がわかりました。留学生にとって、アルバイト先は 日本語を覚える良い場所でもあるのですが、そこで覚えた帰り際の挨拶が「お先に失礼します。」だったのです。「お先に失礼します。」は職場である店や事務所を出るときに使う挨拶です。相手がそこに残っていて、自分が先に部屋を出る点は同じですが、「お先に」のほうは一緒に働いている人々に対して使い、大学の研究室では相手が先生なので使えません。その違いが分かりにくかったのかもしれません。後で聞いたら、その学生は、どこででも「お先に失礼します。」と挨拶していたそうです。

 また、以前、日本の食べ物について初級クラスで取り上げたときに、おいしそうなカラー写真を見せながら「てんぷら、すし、さしみ」など、料理の名前を紹介していました。すると、一人の学生が「さしみ」の写真を指さし、「その料理は知っていますが、違う名前です。さしみではありません。」と言い出しました。どこからどう見ても、その写真は「さしみ」だったのですが、「では、何という名前ですか?」と問うと、「それは、さし盛りです。」と答えました。一瞬何のことだろうと思いましたが、その学生が居酒屋でアルバイトを始めたという話を思い出して、笑ってしまいました。アルバイト先の居酒屋では、その料理は「刺身盛り合わせ」、つまり「さし盛り」と呼んでいたのです。
 さらに、こんなこともありました。大学の別科と言って大学・大学院進学前に日本語などの受験勉強をする学校で、面接試験の練習をしていました。ノックをして部屋に入るところから始め、実際に志望動機や大学でしたいことなど、面接で聞かれそうなことを一通り質問し、最後に「それでは今日はこれで結構です。」と伝えました。すると、留学生がお辞儀をしながら、元気いっぱいの声で「ありがとざした~」と言ったのです。「えっ?」と思いました。「ありがとうございました」ではなく、「ありがとざした~」と確かに聞こえました。一瞬で、教室から居酒屋に行った気分になりました。
 その他にも、外部の方が大学にいらっしゃった時に、にっこり笑って「らっしゃいませ!どちらに御用ですか。」と親切に声をかけて驚かれたとか、荷物運びを頼んだ男子学生に「喜んで!」と威勢よく返事されたとか、さまざまなバイト語を大学生活の中で耳にしたことがあります。

 平成24年度の統計では、日本に留学している人は全国に約13万8千人いますが、そのほとんどがアルバイトをしていると言っていいでしょう。物価の高い日本で学費を払いながら生活するには、母国からの仕送りだけでやっていける人は一握りです。皆さんのお近くのコンビニやスーパー、居酒屋、レストランなどで、外国人のアルバイトさんを見ませんか。彼らにとってアルバイト先は生きた日本語を学ぶ場であり、働くための日本語も生活上の日本語も、職場で覚える日本語は多くあります。アルバイト先の日本人と話して日本語会話が上達したという話も聞きますし、日本語で分からないことはアルバイト先で解決するという話も聞いたことがあります。
 ただ、アルバイト先は先ほど紹介した留学生のように接客業が多いため、そこで独特の表現を身につけることがあります。それが、アルバイト先だけで通用する表現で、他の場面で使用すると違和感を与えるとは思わない人が多いのです。
 日本語は、その場その場で言い方を変えたり、ある時だけに使用する言い方があったりして、場面依存性が高い言語なのです。いつでもどこでも同じ意味なら同じ表現という言語を話す人にとってみれば、どうして使い分けるのかと不思議に思うかもしれませんね。ちょっと変な日本語を話す外国の方に会っても、驚かないでください。もし親しい間柄なら、ぜひ、「こういう時は違う言い方をするよ。」と、やさしく教えてあげましょう。

荻原 稚佳子
慶応義塾大学法学部、ボストン大学教育学大学院を経て、青山学院大学大学院国際コミュニケーション専攻博士課程修了。明海大学外国語学部日本語学科准教授。専門は外国人への日本語教育、対人コミュニケーションの言いさし(文末を省略した発話)、語用論。著書に、『言いさし発話の解釈理論―会話目的達成スキーマによる展開―』(春秋社)、『絵でわかる日本語使い分け辞典1000』(アルク)、『日本語上級話者への道―きちんと伝える技術と表現』(スリーエーネットワーク)などがある。
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