ホーム > 日本語を楽しむ > 日本語ひとくちエッセイ > 世界から見た日本語コミュニケーション(13)「私の日本語はまだまだです。」

日本語ひとくちエッセイ

世界から見た日本語コミュニケーション
荻原 稚佳子

2014年4月

「私の日本語はまだまだです。」

前回のエッセーで、日本語コミュニケーションでは相手を褒めるときには注意が必要なことをお話ししました。今回は、その続き、褒められた時、どのように対応するかについてです。皆さんは、「本当にテニスがお上手ですね。」とか「○○さんのドレス、とっても素敵!」、「××君って、英語ペラペラね。すごく上手で尊敬しちゃう。」と、自分の能力について褒められたり、自分の持ち物について褒めてもらった時、何と言って言葉を返しますか。
 「そうなんです。テニスは高校の時、県大会で優勝しましたからね。大学のサークルで、上級生にも負けませんよ。」とか、「そう。このドレス素敵でしょ。すっごく高かったの。今日のパーティーじゃ誰のドレスよりも素敵だと思うわ。」と言いますか。それとも、「いえいえ、僕の英語なんて、まだまだですよ。」と答えますか。
 日本社会では、多くの場合後者の言い方、つまり、褒められたら謙遜の言葉で応えています。とても親しい友人となら、前者の言い方のように素直に良さを認める言い方もするかもしれませんが、相手が年上の方やそれほど親しくない方だったら、まず謙遜する言い方をします。テニスが上手だという事実があっても、ドレスが本当に素敵でも、英語が本当に堪能でも、日本人は一応謙遜して「それほどでもない」と言うのです。
 このような言い方をすると、アメリカ人をはじめ多くの外国人は驚いて、「何を言っているんですか。あなたは本当にテニスが上手で、このサークルで一番強いですよ。あなたはもっと自分に自信を持つべきだ。」と真剣にアドバイスをしてくるかもしれません。良さや上手さについての事実をきちんと受け止めて、言葉でもそれを正直に表現するのが、彼らにとっては普通のことだからです。

 アメリカで体験したことですが、いつもおしゃれな女性に「あなたはセンスがよくて、いつも本当におしゃれですね。」と言ったら、「そうでしょ。ファッションセンスには自信があるの。夫もいつも褒めてくれるわ。」と応えました。また、いつもみんなをおしゃべりで楽しませ、真剣な話し合いでもタイミングよく鋭い発言をする男性に「あなたはお話が上手ですね。あなたみたいに話せるようになれたらいいのに。」と話したら、「ありがとう。よく友人にそう言われるよ。私がコミュニケーション上手なのは、話し方教室に通って訓練したことがあるからだよ。」と嬉しそうに話してくれました。
 このように、自分の能力や持ち物について褒められたら、素直にそれを認め、どうしてそのような能力があるのか、どのようにしてその物を手に入れたのかなどをストレートに表現する方が多いのに驚きました。褒められて、「それほどでもない」と謙遜する人は、少なかったと記憶しています。
 そのため、外国人が日本社会でも、同じように対応することで、日本人から思わぬ誤解を受けることがあります。日本人は、外国人が少しでも日本語を話すと「お上手ですね。」と褒める傾向があります。日本に来るのですから、あいさつ程度は誰でも事前に調べるでしょうし、日本人だってアメリカに行けば、 “Nice to meet you.”, “Hello.”, “Thank you!” くらいは話せると思います。けれども、日本語をちょっと話しただけで「すごい!」と驚いてくれます。
 それを聞いた外国人は、「ありがとうございます。私は高校と大学で日本語を勉強しましたから、こんなに上手になりました。日常会話はできますよ。」と正直に自分の能力を認める発言をします。その発言に対して、日本人は上手と褒めておきながらも、「何も自慢するほどじゃないのにね。」と微妙に感情が変化します。このような場合、自分の能力を認める対応は自画自賛であり、自信家だと思われるかもしれません。
 一方、日本語能力に加えて日本文化も勉強している外国人は、「お上手ですね。」と褒められたとき、「いえいえ、私の日本語はまだそれほどでもありません。好きなアニメを見て独学で日本語を勉強したので、時々変な日本語を使うと言われます。私の日本語はまだまだですよ。」とさりげなく謙遜します。これに対しては、「感じのいい外国人だ。」と日本人は感心します。ちょっとした言い方の違いでその人に対する印象が変わってしまうのです。その印象は、相手の人柄に対する評価につながる可能性もあります。
 このような人物への印象の違いは、立場が逆になった時にも起きます。日本人がアメリカ人などに褒められたとき、いつものように謙遜したら、相手はあなたのことを自分の能力を認めない自信のない人と思うでしょう。アメリカ社会では、相手のことをよく褒める習慣があるので、その度に謙遜して否定していたら、かなり変わった人に見えるかもしれません。

 こうした違いは、一つには社会の価値観の違いにあると思います。アメリカのように自己主張が重要で他の人とは違っていることを良しとする社会では、相手の能力や性格など、いいと感じたことはすぐ口に出して褒め、それを自分でも認めることで自分自身を確立していきます。それに対して、日本社会では、自己主張することが必ずしもいいとは思われず、明らかに優れていても直接それを褒めたりすることも少なく、また、褒められても控えめに対応することで、思慮深く物事や立場をわきまえている人と社会的に評価されるのです。
 また、もう一つの理由としては、ことばの意味をそのまま直接的にとらえる文化と、言葉の意味をそれだけではなく多様な意味を含んでとらえる文化の違いがあります。アメリカ的な言葉の使い方では、実際通りのことを述べて対応するので、上手であるという事実を述べ、その事実についてのコメントを褒められたほうも述べます。それ以上の意味も、それ以下の意味もありません。それに対して、日本語コミュニケーションでは、例えば、「お上手ですね。」という言葉の真の意味が「上手だ。」という意味の時もあれば、激励だったり、皮肉だったり、ごますりだったりすることもあり、文字通りの意味以上の意味が含まれています。そして、「それほどでもありません。」という謙遜の言葉には、「上手だけれど、自分の立場をわきまえて控えめに対応できる人格です。」、「上手と言っても、もっと上手な人もいるので、自分の能力を的確に判断できる能力を持っているのです。」という意味など、多様で深い意味を含んでおり、会話を通じて互いの人となりを理解しあいながら、コミュニケーションは成立しているのです。こうした理解の仕方は、外国人にはわかりにくく、なかなか説明も難しい部分です。

 最近は若い人を中心に正直でストレートな言い方をする人も増えているようですが、それぞれの文化に良さがあり、どちらが良くてどちらが悪いというものではありません。それぞれを理解し尊重しあい、その上で自分の表現のしかたを選ぶことが重要だと思います。
 さて、あなたは褒められたときに、これからどのように対応しますか。

荻原 稚佳子
慶応義塾大学法学部、ボストン大学教育学大学院を経て、青山学院大学大学院国際コミュニケーション専攻博士課程修了。明海大学外国語学部日本語学科准教授。専門は外国人への日本語教育、対人コミュニケーションの言いさし(文末を省略した発話)、語用論。著書に、『言いさし発話の解釈理論―会話目的達成スキーマによる展開―』(春秋社)、『絵でわかる日本語使い分け辞典1000』(アルク)、『日本語上級話者への道―きちんと伝える技術と表現』(スリーエーネットワーク)などがある。
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