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日本語ひとくちエッセイ

忘れえぬ言の葉(14)
阿部 由美子(東海大学湘南校舎国際教育センター非常勤講師(日本語教育))

2013年1月

「21世紀を生きるのだから」

なんの拍子に、あのとき、S先生は、あんなことをおっしゃったのだろう。
 まったく前後の記憶がないまま、頭に残ったのが、ある日、小学一年の担任のS先生が口にした表題の言葉。「あなたたちは、21世紀を生きるのだから。」
 どうして前後の「後」の記憶までないかといえば、その言葉を聞いた瞬間に、21世紀という、いつ到来するとも知れない時間の遠さに、七つの子どもは、圧倒されてしまったのだ。
 昭和36年1月の早生まれだったから、小学校に入学したのは昭和42年の春。S先生は初老と見えた女の先生。いま思えば、戦前から教師をしていたのかもしれない人。
 昭和42年は西暦で1967年、小学校の一年生では、四桁の足し算引き算は難しかったが、21世紀なるものが2000年代を意味し、そのときから数えて三十年以上も先のことだと、先生は噛み砕いて教えてくださったのだろうか。
 それは、想像もできないほど、遠い将来、未来のこと。これから三十年、四十年も先のことなど、広大な宇宙の果てを想像するような、無地で真っ暗な未来の話と思えたとき、先生の言葉は耳に入らず、ただ恐れおののくような暗黒への時間軸の伸びに圧倒された。
 なぜ、果てしない時間が、暗黒の宇宙を連想させたのか。それは、当時、米ソの宇宙船が頻繁に打ち上げられ、小学生の私たちも、宇宙やら太陽系の絵図を、どことは言わず、日常的に目にするようになっていたから。
 理科の教科書のカラー図録には、漆黒の空間に浮かぶ青い地球の写真が、ただ一葉だけ掲載されている頁もあった。ガガーリンが「地球は青かった」と言ったと伝えられたのが1961年。
 子ども心に、宇宙はどこまで広がっているのか、およそ勝手のわからない、恐ろしい空間であり、時間もまさにどこまで続くのか、つかみどころのない一本の線だった。
 時間と宇宙、そして21世紀という数字。果たして、21世紀を生きるとはどういうことなのだろう、四十代になるとは、どういうことなのだろう。
 きっと、小学一年の担任だったS先生は、私たちを大いに励ましたくて、たぶんに勉強することの意義を摑まえさせたくて、そんなことをおっしゃったに違いない。自分では見られないかもしれない21世紀という時間を、私たちの上に見るとき、先生はどんな気分がしただろう。
 2013年を迎えて、あのときの茫漠とした、暗黒の宇宙の果てに至る弾道のような時間軸の連想は、今や、乾燥した砂漠の地平に至る、一本の舗装道路同様の時間軸となって、足元に横たわっている。
 そして今、2013年の一年生に、「あなたたちは22世紀を生きるかもしれないのだから」と迂闊には言えない時点に立つことを、ひそかに惜しみもする。

阿部 由美子(あべ ゆみこ)
東海大学湘南校舎国際教育センター非常勤講師(日本語教育)
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