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日本語ひとくちエッセイ

世界から見た日本語コミュニケーション
荻原 稚佳子

2014年3月

「大変よく出来ました!」

2月はロシアのソチでオリンピックが行なわれ、毎日の熱戦に沸きました。世界中のトッププレーヤーによる競技は、遠く離れた日本で見ていても感動するものばかりでした。金・銀・銅のたった3つのメダルを目指して一万分の1秒を争ったり、的までの数センチを競ったり、ほんの数十センチでも遠くへ行こうと渾身の力を振り絞ったりと、人間の力の限界と無限さを証明しているように見えました。
 試合が終わった後は、万感胸に迫り涙する人、満面に笑みを浮かべて人々の声援に応える人、持っている力を思うように出せなくて悔しさから言葉に詰まる人などさまざまでしたが、多くの選手がこれまで支えてきてくれた人々に感謝を述べていたことが印象に残りました。力を出し切ったという満足感や4年間の限りない努力の積み重ねがあったからこそ生まれたコメントの数々でした。
 そうした選手たちに対してインタビューをしている方からは、「おめでとうございます。」「すばらしかったですね。」「感動をもらいました。」など感想が多く述べられていたように思います。あれほどの演技や試合を見せてもらったのですから、選手の能力を最大限に評価して「今のあなたの能力を出し切っていましたね。」「とても早く走れましたね。」「これまでのジャンプの中で一番いいジャンプでした。」「大変よくできました!」と褒め称えたいところなのですが、このような言い方をすることはありません。それは、日本語コミュニケーションでは、相手を褒めるということが限定された言語行為だからなのです。

 ちょっと思い出してみてください。あなたは誰からどんなふうに褒めてもらったことがありますか。子どもの頃、先生から100点を取って褒めてもらった。頑張って練習して初めて逆上がりができた時に父親に褒めてもらった。運動部の試合で、強豪と言われた相手を下してコーチに褒めてもらった。などなど、思い当たることはあると思います。ただ、どれも、共通していることがあるのではないでしょうか。
 日本語コミュニケーションでは、その人の能力について褒めるとき、褒める人とその相手の関係が決まっていて、上の立場の人が下の立場の相手を褒めるのです。つまり、褒めるという行為は、相手を評価する立場にある人がすることであって、下の立場の人が目上の人の能力を褒めるという言語習慣はあまりありません。
 何度か経験したことがあるのですが、授業が終わった後、留学生がにこにこしながらやってきて、「先生、今日の授業はとてもよくわかったし、とても面白かったです。とても上手でした。」と言って帰っていく人がいます。良い授業が出来たのだということはわかりますが、「とても上手でした。」と言われると、「ああ、それはどうもありがとうございます。」と、こちらが深々とお辞儀をしそうになります。

 日本語コミュニケーションでは、年上の方を直接褒めるのは、「社長はゴルフがお上手ですね。」「素敵なネクタイですね。」と、趣味や持ち物などに関して言うことはあるかもしれませんが、仕事の場で「課長はプレゼンが上手ですね。今日は良く出来たと思います。」と相手の能力を評価するような言い方はしません。褒められた上司も、そう言われるとうれしい半面、「部下のあなたに言われたくない。」という気持ちにもなります。こういう複雑な心境は、なかなか外国人の方にはわかりにくいようです。

 それでは、先ほどの授業後のような場合、一体どう言えば、相手に自分の考えを伝えることができるのでしょうか。その答えは、自分の利益の明確化と感謝にあります。例えば、「今日の授業は大変勉強になりました。ありがとうございました。」、「課長の素晴らしいプレゼンを拝見して大変勉強させていただきました。私も今後このようなプレゼンが出来るようになりたいと思います。ありがとうございました。」などの言い方が適切です。自分にとって相手の行為、行動がどのように役に立ったのか、どんな利点があったのかを述べて、そのような恩恵を与えてくれた相手に感謝を示すのです。
 相手の能力を褒めることは、一見、相手を喜ばせる言語行為のように思いますが、そこに明らかな上下関係がある時は、下の者が上の者を評価し、上の者の能力を判定していることにつながります。上下関係を重んじるコミュニケーション文化では、こうした行為は回避することが要求されます。そして、明示的に褒めるのではなく感謝の気持ちを表現することが上下関係のコミュニケーションを円滑にします。感謝の言葉は、競技をする人にとってもそれを観る人にとっても、また、上の立場でも下の立場でも、人間関係を築くための重要な表現と言えるでしょう。

荻原 稚佳子
慶応義塾大学法学部、ボストン大学教育学大学院を経て、青山学院大学大学院国際コミュニケーション専攻博士課程修了。明海大学外国語学部日本語学科准教授。専門は外国人への日本語教育、対人コミュニケーションの言いさし(文末を省略した発話)、語用論。著書に、『言いさし発話の解釈理論―会話目的達成スキーマによる展開―』(春秋社)、『絵でわかる日本語使い分け辞典1000』(アルク)、『日本語上級話者への道―きちんと伝える技術と表現』(スリーエーネットワーク)などがある。
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