ホーム > 日本語を楽しむ > 日本語ひとくちエッセイ > 世界から見た日本語コミュニケーション(15)「ここに立たれると、ドアが開きません」

日本語ひとくちエッセイ

世界から見た日本語コミュニケーション
荻原 稚佳子

2014年6月

「ここに立たれると、ドアが開きません」

私の勤務校は千葉県の新浦安という場所にあります。新浦安は、東京ディズニーランドがある舞浜の隣です。いつもは新浦安駅から大学まで運動をかねて10分ほど歩いているのですが、荷物が重い時など、時々バスに乗ります。
 先日もバスに乗っていたのですが、ふと降り口のドアを見たら、こんなことが書いてありました。「黄色の部分に立たれますと、ドアが開かないことがあります。」皆さんは、このような注意書きを見たことがありますか。
 私はこの注意書きを読んで、その意味についてちょっと戸惑いました。「立たれますと」というのは、どういう意味だろうと考えたのです。「ここに立たれたら、迷惑です」という厳しい警告にも読めるし、「ここにお立ちになるのはやめてくださいね。」という丁寧なお願いにも読めるからです。

 「立たれる」というのは、「立つ」の受身形です。動詞の受身形は、いくつかの意味で使われますが、よく使われるのは、「足を踏まれる」「背中を押される」「親に怒られる」など人から行為を受ける場合に使う形です。そして、例に挙げた表現からもわかるように、受け身で表現するのは、ほとんどが迷惑だと感じたり、いやな経験だと感じたりしたときです。実は、受け身で肯定的な表現は非常に少なくて「先生に褒められた。」という表現くらいでしょうか。そのため、受け身で言われたり書かれたりすると、すぐ否定的に解釈してしまいます。
 ただ、動詞の受身形は他の用法もあり、敬語の尊敬表現として使うこともできます。「社長が出張から戻られました」「先輩に多くのことを教えられました。」「学長は卒業式で社会へと羽ばたく学生たちに珠玉の言葉を話されました。」のように尊敬表現として使うこともできます。
 嫌悪感を伴う受け身と尊敬を表す敬語では大きな違いがありますね。一瞬聞いたり、見たりしただけでは、そのどちらなのかがわからないことがあるので、厄介なのです。結局文脈から判断するしかなくなります。文脈から判断するという作業は、日本語が母語である日本人にとってはよくあることかもしれませんが、日本語を学んでいる人にとっては、かなり難しい作業になります。受け身であると理解するだけでも普通の動詞を理解するよりハードルが上がっているのに、さらに意味を理解するには文脈を考慮しなければならないからです。

 先ほどのバスの話に戻りますが、バスは公共交通で様々な年代の方、様々な国籍の方が利用します。新浦安にも外国人の方は多く在住し、東京ディズニーランドが近いこともあり多くの外国人が働いたり、住んだりしている地域です。このような場所で、少しわかりにくい日本語を使用するのはどうなのだろうかと考えました。
 この「立たれますと」という表現は、もちろん迷惑だというつもりで使ってはいないでしょう。お客様に丁寧にお願いするつもりで尊敬語を使用したのだと思います。そうであれば、もっと明らかに尊敬語だとわかる表現である「お立ちになると」を使ったほうがよいのではないでしょうか。

 敬語で尊敬を表す場合は、大きく3つの方法があります。
 一つは、「いる」なら「いらっしゃる」、「食べる」なら「召し上がる」、「する」なら「なさる」のように、全く異なる動詞である尊敬動詞を使用する方法です。
 もう一つは、「読む」なら「お読みになる」、「座る」なら「お座りになる」という「お~になる」の形で表現する方法です。この二つの方法は、ほかの表現とは全く異なるので、尊敬以外の意味と取り違えることは少ないでしょう。
 そして、三つめが、「話す」なら「話される」、「言う」なら「言われる」のように受身形を使う方法です。使う立場からすると、もしかしたら、三つめの受身形が一番簡単かもしれません。尊敬動詞のようにわざわざ新たな動詞を覚える必要はありませんし、「お~になる」という言い方も慣れていないと使いにくいかもしれません。けれども、聞く立場、読む立場、理解する立場から見ると、尊敬という気持ちを表しているのだと明確にわかり、ほかの意味と取り違えにくいのは、最初の二つの表現です。
 たぶんバス会社の方、というより日本人の多くは、受身形を使った尊敬表現が分かりにくい表現だと思わずに使っているのではないでしょうか。母語話者だからこそ、日本語のどの表現が難しく、どの表現が易しいかがわからないし、気にも留めていないのだと思います。

 今、日本で暮らしている外国人は人口の1.6%(約200万人)です。1.6%というとそれほど多くないかもしれませんが、街で見かける標識や表示、お知らせがすぐ分かるかどうかは、生活者にとって暮らしやすさにかかわる重大な問題です。敬語の使い方は些細なことと思われるかもしれませんが、いろいろな立場の方が気持ちよく暮らせる社会を作っていくには、みんなが考えなければならない問題ではないでしょうか。

荻原 稚佳子
慶応義塾大学法学部、ボストン大学教育学大学院を経て、青山学院大学大学院国際コミュニケーション専攻博士課程修了。明海大学外国語学部日本語学科准教授。専門は外国人への日本語教育、対人コミュニケーションの言いさし(文末を省略した発話)、語用論。著書に、『言いさし発話の解釈理論―会話目的達成スキーマによる展開―』(春秋社)、『絵でわかる日本語使い分け辞典1000』(アルク)、『日本語上級話者への道―きちんと伝える技術と表現』(スリーエーネットワーク)などがある。
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