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日本語ひとくちエッセイ

忘れえぬ言の葉(3)
阿部 由美子(東海大学湘南校舎国際教育センター非常勤講師(日本語教育))

2012年7月

「かしらん」

 

『赤いサラファン』といっても、何のことやら、唄の題名を思い浮かべてくれる人が、いまどき、どれほどいるであろうか。
 私自身、この唄は母の書架にあった古びた女学生用の愛唱歌集で知るばかり、旋律をなぞらえはしたものの、誰かがこの唄を歌うのを、中学に入るまで、聞いたことはなかった。

 

中学に入ったとき、クラスは「ろ組」、担任は国語担当の若い女教師。昭和四十年代の半ば過ぎでも、いろはの「ろ組」は古めかしくて、火消しのようで、なにか滑稽だった。
 担任は、たいへん小柄な人でありながら、髪は腰の下まで伸びていて、ひとクラス五十人もの意地悪な女子生徒たちを相手に、ひるまず、臆せず、明るい人だった。
 現代国語以外に、どうにも退屈な国語文法の時間も持っていて、気だるい午後の文法授業を嫌な顔ひとつせず、ひとり陽気にこなしていたような印象が残っている。
 あとから思えば、あんなに髪が長かったのは、日本舞踊でもしていたからか。彼女は、そんな楚々としたところもあったから。

 

この先生が「かしらん」を使うのである。「あら、そうかしらん」「そんなこと、あるかしらん」といったふうに。
 内心、大いに驚いた。「かしら」は知っていて、私も普段に使っていたが、この世にこんな言葉があるとは。ちょっと甲高いともいえる声で、何の躊躇いもなく、「かしらん」「かしらん」と口にする。特にしなを作っている、というふうでもない。
 さすがに級友たちの前で使うには憚られたが、私はそっと、この「かしらん」を会話に織り込むことを始めた。言葉に関しては、新し物好きなのである。本で見つけた小難しい言葉やらカタカナ語を、ことさらに使いたてる学生気質が頭をもたげ、不細工にならないよう、細心の注意を払って新語を挟む愉快さ。

 

「かしらん」は、「か知らぬ」から転じた近世江戸語以降の言葉。「かしら」も「かしらん」も、特に女言葉というわけではなく、今でもたまさか、ご老体でこれを使う殿方に出会う。
 使い初[そ]めて四十年、すこしは私のかしらんも板についてきたかしらん、それとも未だに括弧つきの「かしらん」かしらん。

 

学年末のお別れ会で、この先生が一曲、その美声を披露してくれた。それが冒頭のロシア民謡『赤いサラファン』。
 まさか、学校の教室で、この唄を聞くとは思わなかった。先生の女学生時代、その音楽の教科書には、まだ、この唄が載っていたのかしらん。
 その透き通った声と、腰まで長い黒髪と、「かしらん」の思い出とともに、どこまでも古風なまま、私の脳裡に残るひとである。

 
阿部 由美子(あべ ゆみこ)
東海大学湘南校舎国際教育センター非常勤講師(日本語教育)
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