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日本語ひとくちエッセイ

忘れえぬ言の葉(4)
阿部 由美子(東海大学湘南校舎国際教育センター非常勤講師(日本語教育))

2012年8月

「お嫁に行っても困らない」

 

 蚊帳を吊って寝た記憶は、生まれてこの方、片方の手で数えられるほどしかない。そのうちの一回は、東京西荻にあった父方の祖母の家でのこと。
 祖母の家は、大正・昭和初期に文化住宅と呼ばれた様式の家で、旗日には日の丸が掲げられる格子戸をくぐり、玄関の引き戸をがたがた開けると、まず大きな沓脱ぎ石がある。
 薄暗い玄関の向かって右手に、この家唯一の洋間があって、応接用のソファに白いカバーがかかるその部屋の空気は、いつ入っても氷室のようにひんやりとしていた。
 小学校二年生くらいまでは、年に一、二度、父に連れられて、年子の弟と祖母の家を訪れた。祖母の家には従姉弟がいて、姉弟そろって同い年の従姉弟と庭を駆けずり回り、父が一人戻った後、祖母の居室に子どもだけで一泊するのが、そのころの習いだった。
 ところが、いざ寝る段になって布団に入ると、家恋しさに、姉のわたしがめそめそ、しくしくやるのもいつもの慣わしで、そうすると、隣の部屋で大人たちきり寛いでいた祖母が、気配を察してのぞいてくれる。あるとき、祖母が蚊帳をくぐってお伽噺をしてくれた記憶も、たしかにある。
 蚊帳、の記憶なのだから、夏休みのことに違いない。寝つきに泣いたことなど、きれいに忘れたその翌朝、昨夜の蚊帳を畳みながら、「この蚊帳の吊り手も戦時中に供出させられて」と祖母は話してくれた。
 昭和三十年代半ばの生まれといえば、たとえ幼い子どもでも、二十年前に終わったばかりの戦争の話を日常的に聞かされていたから、そんな問わず語りもきちんと耳に届く。
 そのあと、祖母はもやもやとした深緑の蚊帳を帯の前で畳みながら、「蚊帳はこうやって畳むんだよ。蚊帳の畳み方を知っていたら、由美ちゃんもお嫁に行って困らないよ」と、いつものひび割れた声で言った。
 蚊帳の畳み方など記憶の彼方だが、「蚊帳の畳み方」と「お嫁」の取り合わせはおかしくて、「おばあさんはあの時、どうしてあんなことを言ったんだろう」と、あとあと大人になってまで、そのときのことを反芻した。
 祖母がお嫁に来てのちに、「蚊帳も碌に畳めない嫁」と婚家先の人になじられたのか。それとも、見たことも、話に聞いたこともない祖母の実家の者たちが、そうして娘たちを躾けたのか。
 長じて、祖母の高等小學校の卒業証書を見たことがある。結婚して阿部姓となった祖母の旧姓は、「醍醐」さん。紙は古びても大正六年の墨痕鮮やかな証書を見た瞬間、「後醍醐」天皇の名が浮かび、あらまあと思った。
 お伽噺はしてくれても、ほとんど昔語りをしなかった祖母の口から、「醍醐」の家の話が語られたことはなく、「東京府荏原郡平塚村平塚高等小學校」の文字の記憶に、いまは往時を偲ぶばかりである。

     
阿部 由美子(あべ ゆみこ)
東海大学湘南校舎国際教育センター非常勤講師(日本語教育)
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