ホーム > 日本語を楽しむ > 日本語ひとくちエッセイ > 世界から見た日本語コミュニケーション(8)「あなたに教えたの? 教えてくれたの? -細やかで奥ゆかしい日本語-」

日本語ひとくちエッセイ

世界から見た日本語コミュニケーション
荻原 稚佳子

2013年11月

「あなたに教えたの? 教えてくれたの? -細やかで奥ゆかしい日本語-」

私は現在、大学で、外国人に日本語を教える先生を養成するために教えています。日本人に日本語を教えることは国語教育と言いますが、日本語が母語ではない方に日本語を教える場合は日本語教育と言います。そして、日本語教育を行う教師は日本語教師と呼ばれ、国語教員とは区別されています。

 日本語学習者に「外国語」として日本語を教える場合、日本語を母語として育っている日本人にとって一番苦労するのは、学習者にとって何が難しいのかがなかなかわからないということにあります。
 たとえば、あなたがまだ子供で、ある日、自分で上手にピアノを弾いてみたいと思ったとしましょう。あなたは、お母さんにピアノを習ってみたいとお願いします。すると、教育熱心なお母さんは喜んでピアノを買い、ピアノ教室を探してきてくれ、あなたはピアノのレッスンを始めることができます。
 こんな時、あなたは友達に「お母さんがピアノのレッスンを始めさせてくれたんだ。」と話すでしょう。でも、この表現は、とても難しい表現と使い方を含んでいます。
 特に珍しい表現じゃないと思った方もいらっしゃるかもしれません。では、言い方を変えて、質問にしてみます。「お母さんがピアノのレッスンを始めさせてくれたんだ。」と「私はピアノのレッスンを始めたんだ。」は、どのように意味が異なるのでしょうか。また、この表現から伝わる「私」の気持ちはどのように違うでしょうか。
 即座にこの質問に答えられた方は、日本語教師になる能力をかなり備えていると言えます。ほとんどの方にとっては、「なにか違うけど、違いを説明するのは難しい」のではないでしょうか。

 まず、この二つの文の中で起きている事実は「私は新たにピアノのレッスンを始めた」ということであり、その点での違いはありません。けれども、「始めさせてくれた」という表現を使用したことで、その事実に二つの意味を付加しています。
 一つは、「~させてくれる」という表現から「私が許可する立場にある人にお願いして、その許可を得た」という意味が加わります。アルバイトを休む時は店長に「休ませてもらえませんか」と言い、熱が出た時は上司に「今日は早く帰らせていただけませんか」と言って、許可を得ます。「~させる」という使役形に「もらう・くれる・いただく」を付けて使用する表現を、日本語教育では「使役やりもらい」と呼んでいます。
 もう一つは、「くれる」という表現がついていることで、話し手の気持ちが表現されていることです。「兄が私にギターを教えたんだ。」と言うのと、「兄が私にギターを教えてくれたんだ。」と言うのでは、伝わる気持ちが違いますね。後者は、お兄さんへの感謝の気持ちが表れているのに対し、前者は、単にギターを教えたという事実を述べているだけの言葉になっています。「運ぶのを手伝った」と「運ぶのを手伝ってあげた」、「彼は私を家まで送った」と「彼に家まで送ってもらった」についても、前者はそれぞれの出来事を述べたに過ぎませんが、後者は運んだ人の気持ちや彼の親切に対する感謝が含まれた表現になっています。これらは、「行為の授受表現」と呼ばれ、日本語学習者にとっては使い方が最も難しい表現の一つです。
 「教えた」のほうが「教えてくれた」と言うより簡単ですし、「兄が教えてくれた」のか「兄が教えてあげた」のかという「くれる・あげる・もらう」の使い分けも複雑ですし、「兄が教えてくれた」のか「兄に教えてくれた」のかという助詞の使い分けも面倒です。どうしてわざわざこんなに難しくてややこしい言い方をするのだろうと、日本語学習者にとっては、理解に苦しむ表現です。

 しかし、子どものころから日本語を使って育ってきた日本人にとっては、自然に口から出てくる表現なのです。逆に、「中学生のころ兄がギターを教えたんだ。だから、こんなにギターが好きになったんだ。」と言うほうが、ギターを習ったことでなにか悪いことでもあったのか、ギターを教わったことで何か起きたのかと、変に勘ぐったりしてしまいそうです。つまり、これらの表現は、見方を変えれば、ちょっとした行為に対しても感謝の気持ちを表そうとする日本人らしい表現ではないでしょうか。微妙な表現の違いで自分の気持ちをさりげなく伝えるところに、細やかで奥ゆかしい日本語コミュニケーションの特徴が表れていると思います。
 日本語学習者にとって学ぶのが難しく、日本語教師にとっても教えるのが難しい表現の一つですが、日本人の心がわかる素敵な表現なので、少しでも多くの外国人に伝えていきたいと思っています。皆さんも、世界中の人々に伝えてみませんか。

荻原 稚佳子
慶応義塾大学法学部、ボストン大学教育学大学院を経て、青山学院大学大学院国際コミュニケーション専攻博士課程修了。明海大学外国語学部日本語学科准教授。専門は外国人への日本語教育、対人コミュニケーションの言いさし(文末を省略した発話)、語用論。著書に、『言いさし発話の解釈理論―会話目的達成スキーマによる展開―』(春秋社)、『絵でわかる日本語使い分け辞典1000』(アルク)、『日本語上級話者への道―きちんと伝える技術と表現』(スリーエーネットワーク)などがある。
  • 前のページへ
  • エッセイ一覧へ
  • 次のページへ

日本語検定を受検される方へ

個人受検のお申し込み

団体受検のお申し込み

受検の流れ

データから見る日本語検定

検定データ

日本語検定問題に挑戦!

日本語検定の問題とはどんなもの?

いますぐ検定問題にチャレンジしてみよう!

検定問題に挑戦

教材のご紹介

日本語検定公式問題集

配信コンテンツ

日本語ひとくちエッセイ


ブログパーツ配布中!日本語検定オリジナルブログパーツ配布中!ブログに貼って楽しもう!


日本語検定メールマガジン



第3回日本語大賞審査結果