コロナ禍の時代に必要となる「日本語力」

特定非営利活動法人日本語検定委員会

常務理事

井上 浩一郎

 このシリーズに寄稿してくださった方々は、学生をはじめとするいろいろな相手に何かを「教える」ことを専らにされています。コロナ禍によって講義や指導のありようが大きく変わっていくなかで、それぞれの立場でコミュニケーションの取りかたを工夫しながら、相手との良好な関係を築こうとなさっていることが伝わってきました。

 時間の制約があったり、短い文章や言葉で伝える必要に迫られたり、また、双方向のやりとりをしづらい環境にあったりと、置かれている状況は様々です。いずれの場合でも、「自分の言いたいことを日本語で、相手が理解しやすいように伝える」ということが大切になってきます。

 対面の場合とはちがって、メールやチャットでは相手の反応を肌で感じることができないので、言葉以外の、表情や身振り、場の雰囲気といった類のものは助けにはなりません。まさにコロナ禍によって、期せずして、「教える」側と「教わる」側の両方の「日本語力」が試される状況がもたらされたと言えるでしょう。

 学生や受講者など、教わる側の人のほうに目を移すと、今まで対面で会話をしていた目上の人や面識のなかった人と、メール等でやりとりをする機会が増えていきます。これまで以上に、基本的な敬語の使い方を身に付けることが求められるのは、言うまでもありません。

 語彙についても、仲間内であれば、略語や、だれでも知っているありふれた言葉だけを使っていても用は足りますが、オフィシャルな場ではそうはいきません。よく言葉を吟味して使わないと、相手の誤解を招いたり、相手に不快感をいだかせたりすることになりかねません。短い時間で、その場に最適な言葉を選ぶ必要に迫られることもあるでしょう。

 また、これは教える側の人も同様ですが、対面での会話とはちがって、自分が発した日本語が、多くは文字情報として(ある場合には音声情報として)長く「残る」ことも見逃せません。間違った言葉の使い方や、漢字の誤りに気づかずに作った文章を、いったん相手に送ってしまうと、それは消えずに残ってしまいます。

 この間、人と人とのコミュニケーションがインターネットを介して行われる機会が飛躍的に増えました。これは、コロナ禍がもたらしたという側面が大きいのはもちろんですが、テレワークやオンライン講義が短期間で社会に浸透していることからも分かるように、ICT(情報通信技術)の急速な進展が後押ししているためでもあります。今後、新型コロナウイルスによる感染症が収束したとしても、この大きな流れは変わらないでしょう。

 コロナ禍の中にあるかどうかにかかわらず、どんな時代でも、人が世の中で生きていくために確かな言語能力が必要とされるのは自明のことです。特に、社会の変化が激しい時代に、新たな事態に対応したり何かを新しく学んだりする必要に迫られたときには、確かな「日本語力」を身に付けていることが大きな武器になります。

 ウィズ・コロナの社会、ポスト・コロナの時代などと喧伝され、世の中には様々な情報や言説が流布されていますが、私たち一人一人が、それらの真偽や当否をしっかりと見極めていくことはますます重要になってきます。どんな社会になっても、そうしたときに求められる認識力や判断力の下支えになり、土台となるのが「日本語力」であることも、忘れてはいけないことでしょう。

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