第16回日本語大賞


受賞のことば

各部門の最優秀賞である文部科学大臣賞を受賞された方のことばをご紹介します。



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    小学生の部 文部科学大臣賞

    東京都
    国立学園小学校 3年

    田中 夢乃

     このたびはすばらしい賞をいただき、ありがとうございます。

     私はこの作文を書くことで、私の大切にしたい自然や人との関わりについてや、自分がうれしいと感じることについて深く考えることができました。

     自分のくらす町について表現するには、どんな言葉をえらんだら伝わるのかな、とたくさんの時間をかけて考えました。

     その中で、日本語は一つの言葉でもいくつもの意味をもつことに気づいて「日本語ってすばらしいな。日本人でいるってほこらしいことなんだな。」と感じました。

     私は学校で合唱団に入っています。先生はいつも「気持ちがとどくように、歌詞の意味を考えて歌おう。」と、歌詞に込められた意味を教えてくれます。歌いながら歌詞の意味を考えると、よけいに日本語って美しいなと思います。

     この作文を書くことで、毎日の生活の中でも「この場面に合う言葉はなんだろう。この気持ちには何て名前がつくんだろう。」と考えるようになりました。

     私はまだ三年生で、大きなことを変えたり、だれかを動かす力はありません。でも、目の前にいる人に伝える言葉を一つ一つ大切にすることはできます。そのための一歩を、私は自分の足でふみだします。そのきっかけをくださり、ありがとうございました。



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    中学生の部 文部科学大臣賞

    シンガポール
    シンガポール日本語補習授業校 中学3年

    土屋 千紘

     この度は栄誉ある文部科学大臣賞に選んで頂き、誠にありがとうございます。受賞のお知らせを頂いた時はまさかと驚き、同時に大変嬉しく思いました。

     私がこの文章を書いたきっかけについてお話ししたいと思います。それはシンガポールでの生活に漠然と不満を感じていたからです。例えば、ホーカーセンターという屋外のフードコート施設では、公用語の英語だけでは注文できない店もあり、中国語やマレー語、そして方言を使ってコミュニケーションをとることもあります。また、学校の持ち寄りパーティーではアレルギーだけでなく、異なる宗教上の理由で豚肉や牛肉が食べられないクラスメイトに配慮しなければなりません。その他、学校では旧正月、ハリラヤ、ディパバリそしてグッドフライデーなど異なる民族の伝統行事について学び、常に各民族を尊重し、誤解を招かないような行動をとる必要があります。些細なことに思われるかもしれませんが、私は他人に気を配ることに疲れ、居心地が悪く感じるようになってきました。しかし、「私のまちロジャ」を書く過程で、私は自分と向き合い、今まで飲み込んできた不満を言語化し、自分の悩みを客観的に見つめるようになりました。心の中で引っかかっていたことに向き合い、そのモヤモヤとした複雑な気持ちを自分が納得する言葉で表現することはとても大変で時間もかかりましたが、考えが整理され、今までのやるせなさが昇華できたように思います。

     さらに、私はロジャを食べてから、色々な事に試してみることの重要性を実感しました。私は新しいことに挑戦することをよくためらってしまいますが、食わず嫌いにならないように、何事にもチャレンジしていきたいと思います。また新しい景色に出会えるかもしれません。

     最後に、いつも私を温かく見守ってくれる両親と、文章を書く楽しさを教えてくださったシンガポール日本語補習授業校の先生方、そして私の思いをいつも聞いてくれる祖父母と友人達に心より感謝いたします。これからも、自分に向き合い、いろいろな思いを真摯に言葉で紡いでいきたいと思います。



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    高校生の部 文部科学大臣賞

    埼玉県
    筑波大学附属坂戸高等学校 1年

    小田島 誠慈

     この度は、栄誉ある文部科学大臣賞をいただき、本当にありがとうございます。

     郵便受けに入っていた封筒を開け、「文部科学大臣賞」という言葉が目に飛び込んできた時にはとても驚き、「これは、自分宛ての手紙か?」と思わず封筒の宛名を確認したほどです。この驚きと喜びをドイツと日本にいる家族に伝え、その夜は、ベッドに横になって応募した作文のことを思い起こしながら眠りにつきました。

     朝、目覚めて学校の支度をしながら、約13年半過ごしたドイツでの生活と、そこを離れて新しい街で暮らし始めたこの1年の生活に思いを巡らしました。今、私は親元を離れて、ひとり日本での高校生活・寮生活をしています。平日・土曜の朝食と夕食は出ますが、それ以外の食事や生活のこと、それまで両親がしてくれたことはすべて自分ひとりでしなければならず、試行錯誤を重ねながらの生活です。「どうしてうまくできないんだろう」と自分自身に腹を立てることもありますが、家族と友人たちからの支えと応援があって1年を終えようとしています。

     夏休みのことです。学校の課題からひとまず解放され、ふとドイツにいた時の自分を想像していた時、思いがけず日本語大賞の応募を目にしました。そして、今回のテーマが「私のまちを表す言葉」であることを知り、私が長く住んだ「デュッセルドルフの思い出を書けたらいいな」という考えが頭をよぎりました。

     ドイツには様々な場所から来た人たちが暮らしています。人口が多い都市であればあるほど、ドイツに背景を持たない人たちが多く、ドイツ語が第二言語、第三言語だという人たちがたくさんいます。各家庭で使われる言語は実に様々で、だからこそ、ドイツで暮らすためには共通語であるドイツ語を身につけることが求められますが、私は言葉の壁にぶつかり、ドイツ語を流暢に話せるようにはなりませんでした。しかし、小学2年生まで通った現地の幼稚園・小学校では、様々な国籍の子が集まる中、人種や話す言語に関係なく、友人たちがあたたかく私と接してくれました。ドイツ語で言えないことは絵やジェスチャーを使って意思疎通をし、私の描く絵を見て、友人たちが喜んでくれました。その時の体験が、その後の自分の夢へと繋がっていきました。あの時、ドイツ語を話せない私の思いを根気強く受け止め続けてくれた友人たちがいなかったら、今の私の夢はありません。かけがえのない思い出を通して、私は「人種と言葉の壁のない心のふれあい」を無意識に体験していったのだと思います。

     そのこともあって、今、心ない戦争、傷つけ合う争いが世界中で起こっていることをとても悲しく思います。「社会の授業で習ったことの繰り返し、それ以上の悲惨な出来事が起きるのは一体なぜなのか?」そんなことを考えずにはいられません。だからこそ、私がドイツで体験した友人たちとのかけがえのない思い出が決して当たり前ではないことに気づかされ、そして、私を受け入れてくれて、このような思いを与えてくれた友人たちに感謝しています。

     ドイツ生活での様々な思い出の中で、今回の作品に記したベルリンの壁との出会いは、私のこれからの人生の指針になるものだと感じています。この文章を読んでくださっている皆さんそれぞれに、かけがえのない思い出と人生の指針になる出来事があるかと思いますが、皆さんの記憶の片隅に、私のドイツでの思い出を置いていただけたら幸いです。私の作品を読んでくださったすべての皆さんに心から感謝いたします。ありがとうございました。



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    一般の部 文部科学大臣賞

    東京都

    鈴木 惠子

     このたびは、このような素晴らしい賞をいただき、感激しています。ありがとうございます。

     改めて自分の文章を読み返してみました。そして、しばらく涙にくれました。 幼かった私、何といじらしく健気で意固地だったことでしょう。何でも自分でしなくちゃと思って、やっているつもりになっていましたが、実際はいつも祖父に守られていたのです。

     今思い出します。

     遠足や運動会の時には祖父が大きな固いおにぎりを作ってくれたこと。春、祖父が裏山に入り筍や竹帚の材料を採るそばで、キイチゴを食べたこと。夏、祖父に見守られながら家の前の祖父谷川で遊んだこと、井戸で冷やしたスイカを一緒に食べたこと。秋、祖父がきのこを採るそばで、山ブドウやあけびを食べたこと。冬、祖父が作ってくれた竹スキーで坂道をすべったこと。そして毎朝、月山を眺めたこと、月山の頂上から昇る満月の大き <美しかったこと。広瀬での2年半、つらいこともあったけど、楽しいこともたくさんあったのです。

     成長する私に戸惑いながらも、貧しいながらも私を一生懸命愛し育ててくれた祖父に、中学生になって東京に出た私は一度も手紙を書くことも電話をすることもありませんでした。

     大人になって会った時も、何となくわだかまりがあって、感謝の言葉も優しい言葉も掛けることができませんでした。そして、祖父は亡くなった。

     祖父亡き後、母から聞きました。私の娘を広瀬に連れて行った時、母が「この子、なんて可愛いいんでしょ」と言ったら、祖父が「惠子の方がずっと可愛かったわ」と言ったそう。

     今、祖父に言いたいです。

     「おじいちゃん、私を育ててくれてありがとう。直接言えなくてごめんね。でもおじい ちゃんだって、惠子は可愛いって直接言ってくれてたら嬉しかったよ」

     二人とも無口で不器用だったね。

     私は最近、若い頃よく読んでいた太宰治を再読しています。そして、「津軽」の中に、故郷に贈る言葉を求められた太宰が「汝を愛し、汝を憎む」と記しているのを見つけました。おこがましいのですが、故郷に対する思いは私と太宰は同じだな、と思いました。

     いろいろありましたが、今は故郷、広瀬が大好きです。安来駅からバスに乗ってしばらくして月山が見えてくると、涙が出てきそうになります。愛おしくて。だから「汝を増み ・汝を愛す」です。

     最後に、このエッセイは広瀬で一人暮らしをしている母には見せられないな、と思います。泣いてしまいそうだから。

     母とはこれから、たくさん話し、たくさん同じ時を過ごしていこうと思います。祖父と父にできなかった分まで。