令和3年(2021年)秋号 ごけんメッセージ

日本語を強い味方に 豊田 美加

 「日本語という武器は一生もの。だからこそ、日本語の勉強を続けてほしい。」
 そう語るのは、日本語検定委員会審議委員で、数多くの人気ドラマや映画のノベライズを手がける作家の豊田美加氏。
 2021年大河ドラマ「青天をけ」をノベライズした際のエピソードなども交えながら、日々の創作活動を通じて感じた、場面による言葉の使い分けの大切さや日本語が持つ魅力などについて、ご寄稿くださいました。

ノベライズを書く醍醐味

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 「『ノベライズ』ってなんですか?」とよく訊かれます。「ノベライズ」は映画やテレビドラマなどの作品を小説化することで、ほぼ会話文で成り立っている脚本に地の文を足していく作業です。
 すでにストーリーは出来上がっているので、創作面ではさほど苦労しませんが、ただリライトすればいいというわけではありません。セリフから登場人物たちの心情を読み取ったり、バックグラウンドを考察したりと、脚本や映像にはない部分を描かなくてはなりませんし、何よりその作品の世界観に合った文章を要求されます。
 今年の前半は、NHKの大河ドラマをはじめ3作品をノベライズしました。主人公はそれぞれ歴史上の人物、極道の世界に生きる男、クラスメートに片思いしている女子高校生。背景となる時代は幕末から明治、平成、令和と、バラバラです。これだけを例にとっても、使用する言葉がかなり違うだろうことは、想像に難くないのではないでしょうか。
 常々思っていることですが、ノベライズにかぎらず、自分の書きたい文章、理想とする文章を書くには、とにかく「語彙力」を身につけることが大事です。大工さんがノコギリ一本で立派な家を建てられないように、オーケストラが弦楽器だけでは素敵なハーモニーを奏でられないように、少ない語彙では文章は輝きません。持っている言莱が多ければ多いほど、文章はより色彩豊かになり、人の心を打ちます。
 ただし、語彙力があっても、その言葉を「適材適所」に使う力がなければ、宝の持ちぐされになってしまいます。どれほど面白い小説であっても、違和感のある文章に出会うと興ざめしますし、書類やメールの文に誤用があったせいで、仕事の能力に関係なく見下されてしまうことだってあるかもしれないのです。
 たとえば、よく使われる「笑覧」「高覧」「清覧」。広義には「ご覧(ください)」という意味ですが、それがプライベートなのか、ビジネスなのか、手紙なのか、場合によって使い分けなければなりません。幕末の大河ドラマには帝や将軍が頻繁に登場しますから、皇族や高貴な人に対して使う「台覧」、天皇陛下に対してのみ使用する最高敬語の「天覧」「叡覧」などは、人によって使い分けが必要になります。それに「帝がご覧になった」より「帝が天覧なさった」というほうが締まった文章になり、読み手に与える印象も違ってきます。
 このように、言葉は適材適所に用いてこそ本来の力を発揮します。
 また、この時代の知識人には中国古典の素養があり、軽いタッチの作品にはあまり使わない中国故事の四字熟語が、非常に良い働きをしてくれます。そのシーンにぴったり合う四字熟語が文章に収まった時は、われながら拍手喝采もの。たった四文字で感情や気持ちや状況を表現できるので、ことわざもそうですが、あまり地の文に文字数を割けない場合にも便利です。
 ノベライズは作品ごとにスタイルの違う文章を書く難しさはありますが、人物の内面を鮮やかに浮き彫りにしたり、風景や場面の映像がまざまざと浮かんできたりするような文章を書けた時は、何物にも代えがたい喜びと達成感があります。

なぜ日本語を勉強するのか

 ツイッターの国内ユーザー数は4500万人、インスタグラムは3300万人、フェイスブックは2600万人という統計を、インターネットで見かけました。複数のアカウントを持っている人や投稿はせずに読むだけの人などを差し引いても、外に向けて何かを伝えたい人の多さに驚きます。それに、発信するなら大勢の人の目に触れたいと思うからこそ、フォロワー数が注目されたり、「バズる」という言葉が生まれたりするのではないでしょうか。
 玉石混交の投稿の中で多くの人の共感を得るのは、自分の考えや気持ちを的確な言葉にし、さらに言えば、その言葉のチョイスのセンスが際立っている文章のように思います。どんなに素晴らしい内容でも、陳腐な表現や美辞麗旬で飾り立てた文章では少しも心に響きません。
 ある小説で、「窓から風が殴り込んできた」という一文を読んで、本当に顔に風を感じた瞬間。
 韓国語にしかない四字熟語「事必帰正」を、日本の「身から出た錆」ということわざに当てはめた歌詞の翻訳。
 黒髪の描写である「つやつや」「はらはら」「ゆらゆら」という三種の擬態語を使い分け、『源氏物語』に登場する女性たちの人格造型にも用いた作家・紫式部の凄さ。
 日本語オタクの私は、こういった日本語の自由自在さや奥深さに出会うたび、鳥肌が立つほど感動します。
 「国語は昔から苦手」「文章の才能がない」「どうせ下手だから」と諦めないでください。30年近く文章を書く仕事をしていても知らない言葉は無限にあるし、自分の筆力のなさに落ち込みもします。
 ですが、文章の力は天賦の才能より、日頃から言葉の感性を磨くことで身につくもののほうが圧倒的に大きい。美貌はいつか衰え、お金は使えばなくなってしまいますが、日本語という武器は一生もの。だからこそ、日本語の勉強を続けてほしいのです。オンラインであれオフラインであれ、もしあなたに何か言いたいことや伝えたいことができた時、「これぞ」という言葉と表現を持っていることは、間違いなく強い味方になってくれるのですから。

豊田 美加(とよだ みか)

文筆家
日本語検定委員会 審議委員

大分県出身。成蹊大学日本文学科卒。編集プロダクション勤務の後、フリーランスに。オリジナル小説に「病名のない診察室」「台南の空ゆかば ボクとうさぎのマンゴーデイズ」(ともにワニブックス)、ノベライズ小説に連続テレビ小説「カーネーション」「ごちそうさん」(ともにNHK出版)、大河ドラマ「天地人」(講談社)、「おんな城主直虎」「青天をけ」(ともにNHK出版)、「小説 カノジョは嘘を愛しすぎてる」「小説 心が叫びたがってるんだ。」「胸が鳴るのは君のせい」(すべて小学館)、「SPEC」シリーズ、「ヤクザと家族」「小説 孤狼の血LEVEL2」(すべて角川書店)など多数。