令和4年(2022年)春号 ごけんインタビュー

ビジネスと「日本語」 堤 宇一

 2020年より日本語検定審議委員を務めていただいている堤宇一先生は、日本における教育効果測定のパイオニアであり、日立を中心に多くの企業や組織への研修事業を通じて産業人教育を支えてこられました。社会のグローバル化やICT 化、コロナ禍などの影響で働き方やコミュニケーションの形が多様化するなか、今、どのような日本語の力が求められているのでしょうか。インタビューでお話を伺いました。

これまでのご活動について教えてください。

photo

 私は、産業人教育の中でも教育効果測定を中心テーマとして歩んできました。きっかけは25年前、日本能率協会マネジメントセンター所属中、ある流通企業で開発したオーダーメイドの通信教育講座にまつわる出来事です。受講者の評判は良かったにもかかわらず、先方に新しく赴任した人材開発責任者の「俺、通信教育好きじゃないんだよね」の一言で打ち切られてしまいました。このとき、口惜しさと共に教育効果を証明する必要性を痛感させられました。
 そこから教育効果測定の専門家ジャック・フィリップス氏(※1)との出会いがあり、豊田自動織機(トヨタグループの源流)で行った測定活動がジャック監修の事例集(※2)に採用され、日本での効果測定事例をアメリカやオランダで話す機会にも恵まれました。
 その後、日立総合経営研修所(現・日立アカデミー)に転職し、2005年に設立したNPO人材育成マネジメント研究会(2015年に学習分析学会⦅※3⦆に改組)で教育の質保証の活動に携わってきました。

社会人の日本語力の必要性について、どのようにお感じになっていますか?

 受講者の日本語力が落ちてきていると感じます。たとえば、NPOを立ち上げた当初(16年前)は一日でやっていた教育効果測定の基本講座が、今は二日かかります。文章を読み解く力が不足しているために、一つのことを説明するのにいくつも例を挙げないと分かってもらえないのです。
 私は事例演習を研修でよく用います。簡単なものだと五千字程度の文字量で問題状況が描かれ、その問題について議論する演習です。今は、たったそれだけの文章を読むのにも時間がかかります。論旨が読み取れず問題点を論理的に取り出せない人もいます。
 要約ができない人も多くなりました。昨年開発したコミュニケーション能力の向上を狙った研修で、三千字の新聞記事を五百字に要約する課題を出したところ、これが書けないのです。IT時代とは情報過多の時代です。玉石混交の情報を見分けて取り出し、分かりやすく伝える能力が求められます。たった三千字の中で何が重要なのかを読み取れないようでは、第三者に分かるように話を組み立てることなどできません。
 そもそも日本のビジネスは「文書主義」がベースになっています。これは、意思決定の過程、事業の結果などを検証できるように記録を残すという立場です。ですから、文書でコミュニケーションが取れないことが致命的になってしまうのです。メールや企画書、報告書などの文書作成は、ビジネスの基本です。そして、それらの根幹となるものが言葉の力なのです。今は、それが軽んじられつつあることを危惧しています。

日本語の力は、どのように伸ばしていけるのでしょうか?

photo

 私個人の体験からですが、たくさん書く機会を持つようにするのがよいと思います。できれば、私文書ではなく、第三者に提示するような文書です。ビジネスシーンに限定するならば、平易な日常の言葉を使いながら、二重否定をしないとか、主語と述語は近くに置くなどを意識し、論理的な文章の書き方を学んでいくことで、分かりやすく、解釈のゆれがない文章が書けるようになっていくと思います。


日本語の力を高める必要性はますます高まっているといえるでしょうか?

 今後、今ある職業の49%はAIに取って代わられるという予測(※4)があります。その反面で言葉巧みに相手の心を読み取って柔軟に対応するような職業は残ると言われています。過去にあった職業がなくなっていくことからも分かるように、現代は過去に蓄積された知識体系では世の中を解釈できなくなってきています。体系化されていないことにチャレンジするということは、自分でカリキュラムを作り、自ら手探りで学ばないといけないわけですから、そんなときに言語をちゃんと使えないと本当に厳しいと思います。だからこそ、あらゆる機会やツールを使って、日本語について学び続けることが必要なのです。まずは、日本語検定で自身の日本語力をチェックしてみてはいかがでしょうか。

堤先生が今後、目指していることについて教えてください。

 人生100年時代と言われる今、充実した生涯を過ごすには、その間、ずっと勉強し続けないといけないわけです。
  認知心理学者のエリクソン(※5)らの研究によると、その道で一目置かれるレベルに達するには10年間、10,000時間を費やさなければならないそうです。勉強は10年単位で時間のかかるものです。だからこそ、その10年を無駄にさせることなく、勉強の効果を保証できるものを提供していくことで、「夢を叶えたい」「こういう人生を実現させたい」と思っている人たちを応援していきたいです。科学的で、エビデンスやデータに裏付けされた教育をもっと広めていきたいし、そんな世界の実現を目指しています。

※1… Jack J. Phillipsは教育効果測定研究における米国の代表的研究者の一人。D.カークパトリックの4段階評価にROI( Return on Investment:投資対効果)を加えて5段階評価「ROIモデル」を提唱。

※2… Implementing Training Scorecards:SQC Problem-solving Training Program – Toyota Industries Corporation  Uichi Tsutsumi and Susumu Kubota ASTD(2003)

※3… NPO人材育成マネジメント研究会を2015年5月に改組し、「Learning Analytics」に関する調査・研究・普及啓蒙を目的として設立された団体。   https://jasla.jp/

※4… 「日本におけるコンピュータ化と仕事の未来」 野村総合研究所が、オックスフォード大学のマイケル・オズボーン准教授およびカール・ベネディクト・フレイ博士と2015年度に実施した共同研究。   https://www.nri.com/-/media/Corporate/jp/Files/PDF/ journal/2017/05/01J.pdf

※5… Anders. Ericsson フロリダ州立大学心理学部教授。スポーツ、音楽、チェスなど様々な分野の「超一流」たちのパフォーマンスを科学的に研究。「Deliberate Practice」理論を発表。

堤 宇一(つつみ ういち)

NPO学習分析学会 副理事長
日本語検定委員会 審議委員

1959(昭和34)年大阪生まれ。(株)日本能率協会マネジメントセンターにて通信教育講座の開発マネージャーなどを務めた後、2000年より「教育効果測定」を専門テーマに研究を開始。研修設計理論をより専門的に学ぶために、五十歳にして熊本大学大学院に入学し、2011年に同社会文化科学研究科教授システム学専攻博士前期課程修了。現在は、(株)日立アカデミーに勤務する傍ら、2005年に設立したNPO人材育成マネジメント研究会(2015年に学習分析学会に改組)での活動において、産業人教育の品質向上を目指し、教育効果測定や研修設計など人材育成に関する講演、執筆、コンサルティング等を行う。