一文に込めたい「文責」という意識

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作家

豊田 美加

日本語の美しさと面白さを再発見する日々

 大学卒業後に右も左もわからず出版業界に飛び込んで以来、幸いにも今日まで筆を置くことなく、大好きな文章の世界で仕事を続けることができています。

 ことにこの十数年は、おもにノベライズというジャンルで年に数冊の本を書く機会をいただき、1冊書き上げるごと日本語の美しさと面白さを再発見し、その奥深さに感動する毎日でした。

 例えば今は9月の半ば、小雨の降る黄昏時ですが、試しに「秋」「雨」「夕方」を表す言葉を調べてみてください。日本語とはこれほど情趣に富んだ言語だったのかと、目を見開かされる思いがすることでしょう。

 言わずもがなですが、言語は思考し、感じ、表現するための必要不可欠な道具であり、個人の、また国民のアイデンティティを形成する基盤となるものです。

 日本語の50音は「あいうえお」の「あい(愛)」で始まり、「わをん」の「をん(恩)」で終わる、などと誰かがうまいことを言っていました。それはさておき、日本語は日本人が持つ繊細さや美意識から生み出され、何千年ものあいだ、互いに寄り添いながら受け継がれてきたのだ──そんな思いを強くしています。

知識は大本の日本語がきちんと身について得られるもの

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 私たちの母国語は、世界に誇れる素晴らしい言語です。しかし昨今、日本人の活字離れ、読書離れは進むばかりで、残念でなりません。

 先日、ある専門学校で講師をしている友人が、これまで読んだ本の中から1冊を選んでプレゼンテーションするという課題を出したところ、学生たちの大半がほとんど本を読まないと答えたそうです。有名なグリム童話の内容もうろ覚えの生徒が多かったと、かつて国際線のCAとして世界じゅうを飛び回っていた友人は愕然とした表情をしていました。

 知識がなければ教養は育たず、教養がなければ、世界で活躍することはできません。その土台となる知識は、大本にある日本語がきちんと身についていてこそ得られるものです。

 この度、日本語検定委員会審議委員という自分の商売道具である日本語に関わるチャンスをいただいたからには、正しい日本語を守り、美しい言葉を伝える努力をしよう──そう思っていた矢先、世界がウィルス禍に見舞われることになりました。

 これまで経験したことのない自粛生活で、人と直に会うことがままならない反面、インターネットの文面から、さまざまな意見や考え方に触れました。そんな中で、強く意識するようになったことがあります。

文章に対する敬意や責任が希薄すぎないか

 皆さんは、「文責」という言葉をご存知でしょうか。

聞いたことがないという人も、字面を見れば意味の見当はつくでしょう。文責とは、「書いた文章についての責任」です。

 文章を書くことで報酬を得ている私たちにとっては当たり前の、しかし何より大事にしていることですが、それ以外の人は文責など意識しないのが普通だと思います。それに、誰もが容易く発信者になれるブログやSNSの投稿には、文章をチェックしてくれる編集者も校閲者もいません。

 しかし、それらのことを差し引いても、誤字脱字や言葉の誤用のなんと多いことか。

 プロじゃないから、ただの遊びだから。そう思うかもしれませんが、何万人ものフォロワーを持つ人ならば、ましてインフルエンサーと呼ばれるほどの人であれば、影響力は少なくないはず。全員が目にするわけではないにしろ、書籍の初版発行部数がだいたい5000部から1万部程度なのに比べれば、読み手ははるかに多いでしょう。

 そういったことを考え合わせると、文章に対する敬意や責任が、あまりにも希薄だと感じるのです。乱暴かもしれませんが、その希薄さが、いま社会問題になっているネットの誹謗中傷を助長しているひとつの原因ではないかとすら思えます。

 むろん私もまだまだ未熟で、知らない言葉はたくさんありますし、間違った使い方をして赤面することもしばしばです。それに、短い文章で自分の考えや気持ちを伝えることは実に難しく、書く技術のいることです。

「文責」という意識を持ってほしい

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 私ごとですが、身内の者だからわかってくれるだろうと手を抜いた文をメールで送ってしまったために、誤解を招いて喧嘩に発展してしまったことがありました。

 以来、どんな相手に対しても、どれほど短い文章であっても、必ず数回は推敲し、助詞の一文字もおろそかにしてはいけないと自らを戒めています。

 だからと言って、文章を書くことに苦手意識を持ったり、気後れを感じてしまっては本末転倒です。失敗は成功の母、とにかく書かなければ、文章が上達することはありません。

 ただひとつ、老若男女関係なく、人の目に触れる文章を書くからには、どうか「文責」という意識を心の隅に持っていてほしい。あなたの一言が、良くも悪くも誰かの人生を大きく変えることがあるかもしれないのですから。生きた言葉にそれだけの力があるのは、周知の事実です。

 自分が書いた文章に責任を持つということは、内容はもちろんですが、誤字脱字や言葉の誤用を失くし、基本的な日本語能力をしっかり身につけることが大前提です。

 さらに行間を読む力や豊かな表現力を習得し、ひとりひとりの日本語力が高まることでコミュニケーションが円滑になり、学校、家庭、職場、世の中のあらゆる場所でとても風通しがよくなると思うのです。

 日本語の勉強を始めたり、継続していくことは、なかなか難しいかもしれません。ですが社会が不安定なこういう時だからこそ、日本語検定をきっかけに、または指標にして、多くの方に日本語のスキルアップを図ってほしいと切に願います。

豊田 美加(とよだ みか)

作家。大分県生まれ。成蹊大学文学部卒業。「SPEC」シリーズ、「おんな城主 直虎」、「ごちそうさん」、「カノジョは嘘を愛しすぎてる」、「小説 心が叫びたがってるんだ。」、「半世界」、「最高の人生の見つけ方」、「燈火 風の盆」などのノベライズ作品を多数執筆。これまで世に送り出したノベライズは80冊を超える。「病名のない診療室」「台南の空ゆかば~ボクとうさぎのマンゴーデイズ~」などのオリジナル小説や漫画原作も手がけている。2020年度から日本語検定委員会審議委員に就任。