令和7年(2025年)秋号 ごけんメッセージ

『言語化』の授業を妄想する 三宅 香帆

 私たちの生活に欠かせない、言葉によるコミュニケーション。思いを言葉にして伝えることの難しさを感じている人は、多いのではないでしょうか。
 今号では、文芸評論家である三宅香帆さんに、「言語化」についてご寄稿いただきました。幅広い分野の批評や解説を手がけた三宅さんが考える、言葉で表現するための四つのステップを、ぜひお確かめください。

photo


言語化とは、自分を守る技術である。そう私は思っている。

──言葉にできない感情を抱いた時、どうすればいいのか。これを教えるのは難しい。たとえば「言語を解釈する力」や「正確に文章を書く技術」は教科書に載っている。しかしそれはあくまで小説や論説のような、型の決まった物語の読解や作文の技術を伝えるものである。一方で、社会に出たり、人間関係を構築したりするうえで重要になってくる言語の力は、型のない、感情を言葉にする力ではないだろうか。

仕事や学校で、他人から不当に傷つけられたと感じた時。他人に言いづらいことを伝える時。コミュニケーションが難しい関係性のなかで、それでも自分の意見を言わなくてはいけない時。そこで最も重要になるのは「まずは自分の気持ちを伝える」選択肢を持つことだ。

現実の揉め事では、感情ではなく自分の正しさを伝えようとする人が多い。だがそれでは他人は動かない。伝わるものも伝わらない。コミュニケーションにおいて必要なのは、自分が感じたり思ったりしたことを正確に、相手に、伝わるように伝えることである。

言語化が上手くできるようになると、それは必ず自分を守ってくれる。他人に傷つけられそうになった時、自分は嫌だと感じていることを伝えられるかどうか。この境目は自分を守ることができるかどうかにかかわる。あるいは、相手を不当に傷つけないためにも、やはり言語で感情を伝えることは大切だ。

いまの日本に足りていないのは、どちらが正しいかを議論することではない。自分が何に悲しいと感じて何を嬉しいと思うのか、これをまずは言語にして伝える技術ではないだろうか。

そこで今回は、「もし学校に言語化の授業があったら」と妄想してみた。言語化能力を学生時代に身につけておくに越したことはない。それはきっと、社会に出た時の彼らを、守ってくれるからである。

最近もやもやしたことを具体的に挙げる

この授業では、まず生徒に「最近もやもやしたこと」をノートに書いてもらう。

「昨日、友達にLINEを既読スルーされたことが、なぜかずっと頭に残っている」

「家族に言われたこのような一言が忘れられない」

どれだけ些細でもいいので、たしかに胸にひっかかった出来事を、まずは書いてもらう。

ポイントは、最初から感情の言語化をしないことだ。まずステップ目で必要なのは、具体例、なのである。

出来事は具体的であればあるほどいい。最近疲れている、と感じたなら、どんな時に疲れたと感じたのか。部活が嫌だと思うなら、どんな時に嫌だと感じたのか。メモにその具体例を挙げる。もちろんメモは人に見せなくていい。

とくにどのポイントがもやもやしたのか、具体例をさらに細かくする

もやもやした具体例をさらに細かく分類してもらう。この家族の発言の、どこが嫌なのか。ここで重要なのは、具体例を細分化することである。

「友達の既読スルーにもやもやした」

→細分化すると「〇〇さんとこういうLINEをしていた」「それまで〇〇時間もLINEしていた」「だけどいきなり〇〇という発言の後、既読スルーになった」「〇〇さんはインスタは更新してる」

さて、どこに一番嫌なポイントがあるのだろう?これを選んでもらうのだ。たとえば自分は「インスタは更新されてるのにLINEを返さない」ポイントが嫌なのか、「こういう話題になると返さない」というポイントが嫌なのか。こんなふうに細かく具体例を分解し、最ももやもやするところを選ぶのである。

細分化という言葉がわかりづらかったら、1ステップで起きたことを三段階に分けよう、と伝えてみるのもいいかもしれない。

過去の出来事と比べて、既視か未知か分類する

過去にも同じようなもやもやがあったのか、探す。ネガティブな感情は

過去に同じようなことがあった(既視)
今まではこんなことなかった(未知)

のどちらかに分類できる。つまり、昔も同じようなことがあって嫌だと感じているのか、昔はなかったのに今初めて出会って嫌だと感じているのか、どちらなのか分類するのだ。

小学校のとき、同じクラスの子に無視されていた。それと同じだと思った。(既視)
今までは既読スルーなんてなかった関係だったのに、なんでいきなり?と思った。(未知)

どちらでもいいので、過去の出来事と比べて分類することが重要である。

なぜもやもやしたのか?を言葉にする

既視の場合は、過去と比べて「昔も同じようなことがあって、〇〇という経験を自分は嫌だと感じやすいんだと思う」など、自分がネガティブに感じやすい共通点を探してみる。

未知の場合は、過去と比べて「〇〇はこれまでされてなかったことだったので、驚いたし、そんなこと自分はしないから嫌だった」など、なぜ単なる驚きではなくネガティブな感情を抱いたのか、探してみる。

このようにすると、なぜ自分がこの経験にもやもやしたのか、言葉にできてくる。

そしてこの四つのプロセスを踏むと「自分はこういうことにもやもやする人間なので、やめてほしい」と相手に伝えやすくなるし、なにより自分も「こういう状況が嫌だと思う人間なんだな」と理解することができるのだ。

この四ステップで重要なのは、「どのようにもやもやしたのか」など、もやもやを言い換えることを無理にしようとしない点である。もやもやという言葉はそれでいいのだ。必要なのは、どこに、なぜ、もやもやしたのか。具体例と、過去との比較である。

感情の言語化とは、自分の記憶や感覚を、編み直すことでもある。自分の過去の出来事や、今起こった出来事を、分類する。感情の起こった原因を考える。そうしてすでにある感情を編み直すだけで、言語化はぐんと上手くなる。すると、自分がどういう人間なのか、他人にもわかってもらいやすいし、なによりも自分がわかってあげられる。

誰もが自分の感情や経験を、うまく言葉にできるわけではないかもしれない。だが、学校が「感情とは言語化できるものだ」そして「感情を言語化できると、他人や自分を守ることができる」というメッセージを伝えること自体は可能なのではないか。

言語化能力は、誰かの気持ちをわかるためにあるのではない。自分自身を理解し、そのうえで他人に自分自身を理解してもらうための技術なのである。

photo

「大人になってから、読書を楽しめなくなった」「仕事に追われて、趣味が楽しめない」「疲れていると、スマホを見て時間をつぶしてしまう」……そのような悩みを抱えている人は少なくないのではないか。「仕事と趣味が両立できない」という苦しみは、いかにして生まれたのか。自らも兼業での執筆活動をおこなってきた著者が、労働と読書の歴史をひもとき、日本人の「仕事と読書」のあり方の変遷を辿る。そこから明らかになる、日本の労働の問題点とは ?すべての本好き・趣味人に向けた渾身の作。

三宅 香帆(みやけ かほ)

文芸評論家
京都市立芸術大学非常勤講師

1994年高知県生まれ。京都大学人間・環境学研究科博士前期課程修了。天狼院書店京都支店長、リクルート社を経て独立。小説や古典文学やエンタメなど幅広い分野で、批評や解説を手がける。著書『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』等多数。