第1弾
日本語と外国語はつながっている!

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東京学芸大学教職大学院

教授

齋藤 嘉則

 母語の運用能力と外国語の運用能力とはどのような関係にあるのでしょうか。このことについて、カナダのトロント大学オンタリオ教育研究所教授Jim Cumminsが興味深い仮説を提案しています。Cumminsの専門は、bilingualの研究ですので、研究対象の環境が、日本人が日本語(第一言語)以外の外国語(第二言語)、例えば、英語などを日本国内で学ぶ場合とは異なりますが、それでも二つ以上の言語を学ぶこと、習得するということに共通点があることから、二つの言語を学ぶことについて考えてみます。

 Cumminsは第一言語と第二言語の認知能力の発達には相互作用があると考えています。まず、第一言語と第二言語、例えば日本語と英語とでは音声も、文法も、語彙などの面でもその姿が大きく異なることは明らかです。しかし、両言語間には共通の認知能力を左右する「共有基底言語能力」(Common Underlying Proficiency)が存在すると考えています。

 Cumminsは、この「共有基底言語能力」は母語と第二言語で共通していることから、例えば、母語での能力を高めれば高めるほど第二言語においてもその能力が高まる、としているのです。さらに、Cumminsは、第一言語と第二言語が影響し合うためには、第二言語がある程度の習熟度に到達していなければならないとも説明しています。

 例えば、卑近な例をあげてみますと、英語(第二言語)を学習している日本人英語学習者が翻訳語である日本語(第一言語)「社会」という語の抽象的な概念が理解できていれば、英語(第二言語)においてもその概念に対応する語、翻訳された元の語”society”を理解して記憶することができるでしょう。しかし、逆に仮に日本語でこの語の概念がわからない、知らないとなれば、”society”という語の概念を理解して記憶することは容易ではないでしょう。

 Cumminsの研究から私たちが得ることのできる知見は、前述の「共有基底言語能力」は母語(第一言語)と第二言語に共通していて相互作用があることから、例えば、母語(日本語)をよく学び、母語の認知能力や学術的な能力を高めれば高めるほど第二言語でもこれらの能力を高める素地を育てることができる、ということではないでしょうか。また、逆の場合についても同様のことがいえるのではないでしょうか。

 実例として、前述の「社会」という翻訳語を生み出した明治期の日本人は、当時、日本語にない概念を「社会」という語に集約し紡ぎ出しました。さらに、岡倉天心は日本の伝統的な文化である茶の道を『茶の本』として英文で書き表しました。これらは日本語と外国語の能力を相互に高め合い洗練させたひとつの例として考えることができます。

 この様に、外国語を日本語に翻訳したり、日本文化(日本語)を外国語で発表したりするなどの過程で当時の人々は自分自身の「共有基底言語能力」を高めていたのではないでしょうか。現代に生きる私たちも、もう一度、自分自身の言語生活や第一言語や第二言語に対する言語学習への取組について点検してみてはいかがでしょうか。

齋藤 嘉則(さいとう よしのり)

東京学芸大学教職大学院 教授

宮城県、仙台市公立中学校教諭、教頭、校長、仙台市教育局学校教育部教育センター指導主事、教育指導課長、文部科学省初等中等教育局教科書調査官(外国語)、宮城教育大学教職大学院准教授、香川大学教職大学院教授を経て現職は東京学芸大学教職大学院教授、学長補佐、附属学校運営部長