第2弾
「日本語」を磨くことが「思考力」を育て「外国語」の習得を進めることにつながる!

photo

東京学芸大学教職大学院

教授

齋藤 嘉則

 そもそも「言葉(言語)」を学ぶ、身につけるということは如何なることなのでしょうか。人の内部で何が起きているのでしょうか。私たちはこの世に生まれて周りの人たちが話す言葉を「母語」として直接聞いて、自然に無理なく習得します。日常的なコミュニケーションから、場合により高度な学術的な内容についても、「母語」を介して外界とともに自分自身ともやり取りをすることになります。

 サピア・ウォーフの仮説では、「言語」が人の思考に影響を与える、とあります。「言語」はこの世の森羅万象の摂理をある視点で切り取り、私たちの脳内にある表象として映し出します。「言語」が人の認知能力を育みます。人が外界を認識する枠組みを提供します。その枠組みのもとで思考をめぐらすことになります。昨今、言語能力の育成が求められていますが、これは予測できず急激な変化に対峙せざるを得ない私たちがこの状況と格闘するには、創造的な思考力が必須のものであるからです。その根幹には「言語」があるからでしょう。学校教育においても、教育計画の基準たる「学習指導要領」、その「解説総則編」では校種を問わず「言語環境の整備と言語活動の充実」を求めています。

 グローバル化が進むことにより、いずれの「言語」も「外国語」の影響を受けています。「日本語」も例外ではありません。例えば、「パラグラフライティング」的なものの書き方、話し方というものは、古の「日本語」の世界では標準的なものではなかったのではないかと考えられます。「パラグラフライティング」では、まず「結論」を述べ、その後「理由」や「具体例」を示しながら、さらに「結論」を繰り返します。文書や口頭での報告の際、推奨されている手法です。

 「日本語」では、文化的な背景もあり、ひとつひとつの事柄を取り上げ、それについて説明しつつ聞き手や読み手の考えを引き出し、多くの人々との合意形成を図りながら帰着点である「結論」に到達する、という過程を踏みます。合意形成を図る過程が大切にされています。時間はかかるものの、多くの人たちの理解や合意を得るための手立てではないかと思います。ただしこの手法は聞き手や読み手の側に負担をかけます。それは、自分たちが何処に導かれ案内されるのか、それぞれの時点では明らかではないからです。よって聞き手や読み手は行き先がわからず不安になる、ということになります。

 「母語」は、習得の段階もありますが、私たちにとっては動かすことのできない前提条件となります。一般的に「母語」の習得や理解が十分であるからこそ、「外国語」を相対化することで語句の並べ方や文化的な背景への理解を深めることができるのだと考えられます。新たに学ぶ「外国語」と「母語」双方の違いを睨みながら「外国語」の習得を進めることが必要です。第二言語習得論では「外国語」を習得する過程での「母語」の「転移」や「干渉」という現象から、習得の促進や障害を説明しています。いずれにおいても、「母語」が十分ではない場合は「外国語」を習得する基盤が脆弱となり、習得は思うに任せないものになる可能性があると考えられます。

 このように、人の知的な活動において「言語」はその中心にあります。そのため「言語」、とりわけ「母語」の運用能力を常に高めることが大切です。すなわち、「日本語」を「母語」とする私たちにとっては、「日本語」の言語能力を高めることが「思考力」を育てることにつながり、さらに、「母語」を基盤とした「外国語」の習得を進めることにもなるのではないかと考えることができます。これらのことを視野に入れつつ、日常的に「母語」(日本語)と相対することが大切なのではないかと思うのです。

齋藤 嘉則(さいとう よしのり)

東京学芸大学教職大学院 教授

宮城県、仙台市公立中学校教諭、教頭、校長、仙台市教育局学校教育部教育センター指導主事、教育指導課長、文部科学省初等中等教育局教科書調査官(外国語)、宮城教育大学教職大学院准教授、香川大学教職大学院教授を経て現職は東京学芸大学教職大学院教授、学長補佐