第15回日本語大賞


受賞のことば

各部門の最優秀賞である文部科学大臣賞を受賞された方のことばをご紹介します。



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    小学生の部 文部科学大臣賞

    インドネシア
    ブリティッシュスクールジャカルタ 小学3年

    髙橋 英志郎

     このたびは、文部科学大臣賞にぼくの作品をえらんでくださり、ありがとうございます。すばらしい賞をいただき、とてもうれしく思います。

     ぼくは今、お父さんの仕事のかん係で、インドネシアのジャカルタでくらしています。こちらでの生活もやく2年がたち、インドネシアの文化をたくさん学ぶことができました。いのりの時間に流れる放送や、相手の手をおでこにつけるあいさつ、美しいそめ物のでんとうぎじゅつ、みん族楽きやおどりのパフォーマンスなど、びっくりすることや感動することがたくさんありました。

     今ぼくが通っている学校は、50カ国い上の国々から来た生とたちがいるインターナショナルスクールです。友だちは、それぞれちがった母国語や習かんや考え方を持っていて、一しょにいると、おもしろいことが色々おこります。たとえば、昼食にめずらしい食べ物を持って来たり、たん生日や新年のいわい方がちがったりします。サッカーのワールドカップの時は、おたがいの国をおうえんし合いました。それから、ラマダンというイスラム教のだん食の時には、友だちのしゅう教をそん重して、飲食をしない友だちをケアしたりもします。

     世界の生活や文化を知れば知るほど、それまであたり前だったことが、実は日本ならではのユニークなものだったと気づくことができました。作文に書いた「いただきます」という言葉もそのひとつです。また、日本語の中には、“MOTTAINAI” “KAWAII” “SAMURAI” など、世界で使われるようになったものもあります。これらの言葉は、外国語にやくすことができません。そこにこめられている感かくやせい神が、日本のオリジナルのもので、世界からひょうかされています。

     ぼくは、日本人らしい考え方や感じ方があると知ってから、日本文化や日本語を大切に思う気持ちが強くなりました。これからも日本人としてほこりを持って、いつか世界で活やくできる人になりたいです。



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    中学生の部 文部科学大臣賞

    宮城県
    古川学園中学校 1年

    鎌田 薫穂

     この度は、文部科学大臣賞という栄誉ある賞をいただき、大変光栄に思います。「いみじ」について書いてから数か月が経ち、私は日常の中でたくさんの「いみじ」に出会ってきました。まず何よりも、今回の受賞を知った瞬間の喜びのあまり言葉が咄嗟に出ず、口を両手で覆って首を左右に振りながらの「いみじ」。ある時は、自分が待ち望んだマンガの特装版の発売日当日に出遅れてしまい、急いで向かった本屋さんに入るや否や、遠目に最後の一冊が残っている事を確認した途端、何故かその場で靴が脱げてしまいもたついている間に、後から入って来た人に目の前で取られてしまったという、まさにマンガのような展開に、思わず舌打ちしたくなった瞬間の「いみじ」。またある時は、予期せぬ自然の猛威を目の当たりにし、自分の無力さを思い知らされた時の、声にならない「いみじ」。

     こうして自然体で日常的に使いこなせる事を目標に「いみじ」という言葉で表現し得る世界を追い求め続けるうちに、この言葉に対する捉え方が少しずつ私の中で変化しつつある事に気がつきました。日々の中で起こるよい事も悪い事もその大小を問わず、時に私たちの平常心に少なからず波紋を広げ、日常をままならなくさせます。ならば己の動揺に振り回されるよりも、できるだけ安定した日々を生きられるほうがよい……、それは少しつまらないような気もしますが、何か不測の事態に思わず「いみじ」と発した後、その言葉の向こう側に、「一旦落ち着こう」「冷静さを取り戻そうよ」というような戒めの意味が隠れているのではないか、と感じるようになってきたのです。それこそが、「いみじ」の両極端の意味を一語で担う所以なのではないかと想像され、少しだけこの言葉が生まれた時代の人たちの思いに近づけたのではないか、とまた勝手に満たされた気持ちになってしまいました。

     ちなみに私の家庭内で浸透している「いみじ」の使い方の例のうち頻度が高いのは、家族でテレビCMを見ていて、青少年が家族と見るには少し気まずい大人な内容が唐突に予告として流れてしまった時、リモコンに一番近い家族の誰かが、すばやく「いみじ!」と叫ぶと、急いでテレビを消してくれる、といった場面です。その後発生するしん…とした少しの間も、追ってやってくるクスっと笑える瞬間も含めて、「いみじ」なのです。_

     私の目指すところは世間のより多くの方々に、この短い古文単語の持つ奥行きを、私の家族の例のように体感してもらいたいという事で、その願いは強まるばかりです。「今の『いみじ』はどんな『いみじ』でしょうか?」というクイズ感覚で相手とコミュニケーションを取りながら、日本中に、欲を言えば世界中に「いみじ」が広がっていく事を夢見て、足元からコツコツ普及に努めていきたいと思います。

     最後に、この度賞をいただいた事でより多くの方々に私の感じた「いみじ」の魅力を広めてくださった審査委員のみなさま、そして私の文章を最後まで読んでくださったみなさまに厚く御礼申し上げます。



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    高校生の部 文部科学大臣賞

    埼玉県
    白百合学園高等学校 2年

    須賀 愛佳里

     かくことが、大好きだ。書くこと、描くこと、綴ること。この手一つで頭の中の混沌とした世界を、感情を、手探りで掴んで、練って、まっさらな紙に落とし込むこと。そんな「かく」という作業が、大好きだ。かいたものは色を持ち、形となり、ものとなる。息を吸って吐くたびに過去が構築されてゆくように、手を動かして何かをかくたびに、そこには確かに思いの軌跡が残されてゆく。

     思えば、書くことに救いを求めるようになってから、三年以上の月日が経つ。中学二年の冬に日記を綴り始めた日から、今この瞬間まで。書くという行為は、十代真っ只中の私をいつだって支えてくれた。

     初めは趣味程度の楽しみであった「書く」ことに俄然意欲を持ち始めたのは、中学卒業間際のことだった。その日、何気なく学校の文集を捲った私は衝撃を受けた。そこには同年代の生徒たちの日常が、生き生きと、信じられないほど彩り豊かに綴られていたのだ。日常生活についてのエッセイや読書感想文、世界情勢に関する作文など多岐に渡る文章の数々は、目を見張るような新鮮さを湛えたものばかりだった。同じ制服の内側に在る一人一人の個性豊かな世界が、活字の奥にどこまでも広がっていた。ああ、この子はこんな風に世界を見ていたのか。隣同士くだらない話で笑い合ったあの子が、こんなにも豊かな世界観を持っていたのか、と。ただただ、圧倒されてしまった。その日を境に「私の内側に広がる世界は一体どんな色彩なのだろう」という問いかけと共に文章に向き合うようになった。

     今でも何かを文章に起こそうとするたび、私は自分自身の未熟さを否応なく自覚させられる。紙に真っ向から対峙して何かを書くとき、人は独りだ。自分の中にある想いの渦の断片を引き摺り出し、それをぐつぐつと煮詰めて、その根底にある何かをじっくりと見出すこと。そうしてそれをまっさらな紙の上にさらして、確かな文章という形におこすこと。「かく」ことは、そのまま自分の内側を見つめることだと思う。文章は、まさに人の想いの結晶だ。私の中身を空っぽになるまで煮詰めたら、そこに残るのは一体どんな姿形の結晶だろう。透き通るように美しいだろうか。あるいは、どす黒くて苦々しい何物かだろうか。そんな問いの答えを見出すべく、今日まで書き続けてきたような気がする。

     まだ、結晶の形はわからない。一生かかってもわからないような気もするし、はじめからそんなものは存在しないような気もする。それでも、ときに自分に救いの手を差し伸べるようなつもりで書き続けようと思う。そうしてあわよくば何らかの形で人間の核心をかき出すことが出来たのならば、本望だ。

     末筆となりましたが、審査委員の皆様に、先生方に、こんな奔放な私を支えてくれた家族に、周りの方々に、私自身に、心から感謝しております。私の文章を読んでこれを入賞させたいのだと推薦してくださった審査委員の方々がいらしたのだと思うたび、あまりの嬉しさに胸がいっぱいになります。改めて、本当にありがとうございました。



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    一般の部 文部科学大臣賞

    福岡県

    山内 千晶

     このたびは、素晴らしい賞をいただき、正直びっくりしています。

     今回「推しの言葉」という募集テーマをみた時、実は第三回の日本語大賞をいただいた時のことが頭をよぎりました。その時のテーマは「人と人とをつなぐ日本語」。私は白血病の治療経験を題材にした「おかげさまの向こう側に」という作品を書きました。この時、まさに一緒に闘病していたのが、今回の作品に出てくる「彼女」です。不思議なご縁で、彼女とのことを思い出し、今回時を経て、再び筆を執り、はからずも賞をいただく機会に恵まれました。

     病を得て、生かされた命の恩返しと、彼女のように先に逝ってしまった患者仲間の命の重みを忘れないように、と細々ながら、がん患者さんの支援活動に携わるようになりました。病を前に、さまざまな想いを吐露される時、私は必ず「病は向き合うもの」と話します。それは彼女が「闘うのはしんどい」と遺した言葉があるからです。命に勝ち負けはありません。病を克服すれば勝ちということでもなく、負けたから死ぬのでもない、それはたくさんの患者さんを見送ってきた今、改めて感じています。たとえ前向きになれなくても、下を向かなければ咲いている花に気がつきませんし、横をみれば、また違う景色が見えるかもしれません。上を見れば星や月が輝いています。後ろを向いても構わない。前向きばかりじゃ、きっとポキンと折れてしまう…そんな風に思えるようになったのは、闘うことより「向き合う」ことの大切さを実感したからだと思います。

     彼女が最期まで大切にしてくれた、私が何気なく発した言葉は、乳がんを煩った私を支え、今はきっとたくさんの患者さんを支える言葉になってくれていると信じています。

     この作品を書くにあたり、どこか十六年前に旅立った彼女が、私の背中をそっと「おして」くれたような気がしています。これからも患者さんの支援活動を続けていく私の「推しの言葉」として、彼女の思い出とともに、想いとともに、大切に使い、大切に伝えていきたいと思います。

     このような機会と栄誉ある賞をいただきましたこと、心より感謝申し上げます。

    ありがとうございました。