出典は漢籍でございますが

ひそみなら

『荘子』天運篇より。病弱な美女の西施せいしが胸を押さえて眉をしかめる姿を見た不美人が、そうすれば自分も美人に見えると考え真似たことから、優れた人のすることを、事の本質を捉えぬまま無暗とまねること。

 学生時代、漢文と共にアラビア語も学んでいた。

 このアラビア語、卒業要件単位と認定されるには専攻の専任教員一名および語学担当教員二名分のサインを集めた申請書を提出しなくてはならない。そこで教員行脚をする。すると言っても、語学教員は授業日以外現れないので、曜日順に講義後の教卓へ赴くことになる。

 結果、ネイティブの教員が一人目になった。要望を聞くとにっこり笑い、流麗なアラビア文字で署名してくれる。すると、翌日にサインを求めたもう一人の語学教員、自分だってアラビア語くらい書けるところを見せようと考えたのか、こてこての日本名をアラビア語で記す。最後になった専任も、異国情緒ただよう紙面に自己顕示欲を喚起された模様。「おお、では私も」と右から左へペンを走らせるので、大多数の日本人にはうねうねと意味をなさぬ記号にしか見えぬものが三列並んだ書類が完成した。

 それでも、事務員は全員どれがネイティブのサインかを見抜いた。最初のサインが姓・名らしき互いにつながった文字のまとまり二つで構成されているのに対し、後の二つは文字列がやけにぶつぶつ途切れていたからだ。日本語とアラビア語は音韻体系が相当異なる都合上、日本人の氏名は一音ずつしか表記できないのである(「Yukiya Kayama」ではなく「YU KI YA KA YA MA」と表記された署名を想像されたい)。あっさり醤油顔がカフタンを着たって様になるまい。

 ところで、レポート指導の講義を受け持っていると、AIによる代筆から友達の文章を署名だけ差し替えたものまで、様々に不正をらした答案が届く。その中に、前年の模範解答を下敷きにしたと思しいものがあった。失笑した。原文は「生徒指導に体罰を用いることは許されない。法律で明確に禁じられているからだ。例えば、刑法208条では――」なのだが、答案は「勉強しない学生を落第させることは許されない。法律で明確に禁じられているからだ。例えば、刑法208条では――」となっている。

 前年の出題は「生徒指導に体罰は不可欠だ、という主張に反論せよ」、今年の課題は「勉強しない学生は落第させよ、という主張に反論せよ」なのである。猿真似が賞賛よりも嘲笑をもたらすのは今も昔も同じこと。古代の村娘よりは教育の機会に恵まれているのだから、猿から人間へ進化を遂げてもらいたい。

香山 幸哉(かやま ゆきや)

日本語検定公認講師

専攻は歴史学。文学修士(慶應義塾大学)。2017年から日本語検定公認講師。
高校教員(国語科)を経て、現在は複数の私大で日本語、文章指導の講義を行う。