世界の言語から見た日本語のコミュニケーション

先日、行きつけの美容院で、面白い話を聞きました。美容院や理髪店で髪を切ってくださる美容師さんや理容師さんは、国家試験を受けてはじめて働くことができますが、その国家試験で実技試験を受ける時、受験者は必ず白衣を着なければならないそうです。

それは、昔から、美容師や理容師は髪の毛に関する医者と考えられていたからです。身体については医者が、頭髪については美容師や理容師が診察し手当てをするという考え方です。

今でも、理容師の方が白衣を着て仕事をしているのは、その名残りだそうです。

また、理髪店の前で回っている三色のポールですが、あの三色の「赤・青・白」は「動脈・静脈・包帯」を表しており、医療行為を象徴したサインだったのです。

確かに、知らない人の髪をハサミで切ったり、顔やひげを剃刀で剃ったりするという行為は、メスで体の一部を切る行為と同じくらい専門知識と技術が必要で、責任と危険を伴う行為です。「髪の毛の医者」という言葉も納得できますね。

そして、その時に聞いた話でもう一つ驚いたのが、美容室や理髪店で保管されている顧客カードの呼び方です。たぶん、皆さんも美容院や理髪店に行って、名前や住所などをカードに記入したことがあるのではないでしょうか。

そのカードは、「カルテ」と呼ばれているそうです。担当した美容師が、お客様の髪の状態や使用したシャンプー、パーマ液、髪の色など細かな情報をその「カルテ」に書き込み、次に来店した時の参考にしています。きっと「カルテ」を見れば、各顧客の髪の健康や手入れの履歴などが全部わかるのだと思います。

かかりつけのお医者さんを訪ねた時、カルテを見ながら、「いつもこの時期に風邪をひきますねえ。」と、本人も気づいていないことを言われて驚くことがありますが、美容師・理容師の皆さんも、本人以上に髪のことを御存じなのだと思います。

この「カルテ」という言葉は、ドイツ語のKarteから来ています。その他にも、ガーゼ(Gaze)やレントゲン(Rontgen)、カプセル(Kapsel)など、医療用語の多くがドイツ語から外来語として入ってきています。

このような専門用語には外来語が多いのですが、その専門分野が最も発達している国の言葉が外来語として広く使用されています。

たとえば、美術や服装に関する用語は、どこの国から入ってきているかお分かりですか。美術用語のクレヨン、デッサン、アトリエ、そして服装に関する用語であるズボン、マントなどは、フランス語から来ています。

音楽用語はどうでしょうか。オペラ、ソプラノ、アルト、コンチェルトなど、すべてイタリア語からの外来語です。つまり、文化の発達したところから未発達のところへと、文化や知識と共に言葉も入っていき、日本語では外来語として取り入れられているのです。

このような外来語は、外国から日本に入ってきた時期を調べると、日本の社会の動きが分かります。

たとえば、16世紀には、パン、カステラ、タバコといった食品や嗜好品が外来語として入ってきましたが、これらはポルトガル語が由来で、ポルトガルとの貿易が盛んだった時代だとわかります。

そして、江戸時代には、アルコール、コンパス、ポンプなどの新しい発明品がもたらされ、そのまま名前が使われるようになりましたが、元々はオランダ語です。鎖国をしていた江戸時代には、唯一門戸を開いていたオランダからの言葉が入ってきたわけです。

それが明治時代になると、世の中は文明開化一色となります。この時期は、西洋文明が取り入れられて多くの外国語が入ってきましたが、その外国語が日本語に訳されて使用されるようになりました。Societyが「社会」と、Freedomが「自由」と初めて訳されたのは、この時代です。

戦争中には、外来語が敵性語として禁止され使用されなくなりますが、戦後には、チョコレート、エネルギー、ソファー、マイカーなど英語を中心とした外来語が急増し、生活スタイルの変化がもたらされたことが分かります。

バブル期には、ブランド、オンライン、ネットワークと高級品や技術の進歩が分かる言葉が増えてきます。ところが、バブルが崩壊すると、リストラ、バッシング、ナチュラル、アロマテラピーなどの厳しい社会情勢を伝える言葉や成長よりも人間らしさや癒しを求める風潮が外来語に現れます。

その後は、インターネット、サイバー、チャット、ラインとIT時代へと突入していく様子が外来語の登場によりはっきりとわかります。

言葉はこのように、時代の要請とともに、必要とされる言葉が外国語から入ってきているのですが、それぞれの時代に日本語は外来語として非常にオープンに、そして柔軟に受け入れているのです。

カタカナという文字を持っていることも、外来語を受け入れやすかった要因の一つですが、外国語の読み方を日本人が発音しやすいように微妙に音を変えたり、長い言葉を省略したりして取り入れていることも、外来語が定着しやすかった理由でしょう。

ただ、元々外国語だから外国人にはわかりやすいだろうと思うのは間違いで、外国人にとっては、これらの外来語は非常にわかりにくい言葉の一つです。微妙に発音が違うことが、かえってわかりにくくしているのです。

外来語は外国語を由来とする言葉ですが、日本語になじみやすい音や語になっている完全なる日本語だということを認識しておくとよいでしょう。

身近な外来語が、いつ頃どこの国の言葉から生まれたのかを調べてみるのも面白いのではないでしょうか。

荻原 稚佳子

慶応義塾大学法学部、ボストン大学教育学大学院を経て、青山学院大学大学院国際コミュニケーション専攻博士課程修了。明海大学外国語学部日本語学科准教授。専門は外国人への日本語教育、対人コミュニケーションの言いさし(文末を省略した発話)、語用論。著書に、『言いさし発話の解釈理論―会話目的達成スキーマによる展開―』(春秋社)、『絵でわかる日本語使い分け辞典1000』(アルク)、『日本語上級話者への道―きちんと伝える技術と表現』(スリーエーネットワーク)などがある。

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