世界の言語から見た日本語のコミュニケーション

新しい年になりました。皆さんはどのような新年をお迎えになりましたか。

干支で言うと、うま(午)年からひつじ(未)年になりました。うま年は馬のイメージから勢いよく駆け抜ける感じがありますが、皆さんにとってはどのような一年だったでしょうか。

私にとっては、自然災害が多く、改めて自然の脅威について考えさせられた一年でした。また、経済面ではアベノミクスで景気が復調してきたようですし、スポーツ界では、フィギュアスケート、スキージャンプ、テニスなどで日本人の活躍もあり、勢いを感じられる一年でもありました。

では、今年の「ひつじ」のイメージはどのようなものでしょうか。私の周りにはひつじ年の方が何人かいますが、皆さんどちらかというとマイペースな方が多いような気がします。

ただ、「ひつじ」のイメージというのは、それほど明確なものがなく、日本では「ひつじ」は-その風貌からでしょうか-かわいくてのんびりとしたイメージがあるように思います。

「ひつじ」を使った表現はほとんどなく、「羊の歩み」くらいしか辞書にはありません。その意味は、死の次第に近づくことを表していて、羊の歩く様子は暗く重い足取りとして捉えられています。

「馬が合う」「馬を牛に乗り換える」「馬車馬のように働く」などと、「うま」が多くの慣用句に使われ、身近な存在で足が速く良く働く便利な動物として使われているのに対して、「ひつじ」は日常的に接する動物ではなかったことがわかります。

一方、イギリス、オーストラリア、米国などの英語圏では、ひつじの飼育が盛んな国が多く、「ひつじ」と言っても総称としての“sheep”以外に、去勢していない雄ひつじは “ram” 、子ひつじは“lamb” 、成長したひつじの肉は“mutton”というように、その呼び方が細かく分かれています。

そして、その性格から「単純で誠実な人」や「気が弱く臆病な人」のことを表すこともあります。「彼はひつじですね。」と英語圏の人に言われたら、それは決してかわいいわけでも、のんびりした人を表しているわけでもなく、否定的な意味で使われていると思った方がいいでしょう。

このように、動物を使った言葉はどの言語にも見られるのですが、国や言語圏やごとにそれぞれの動物の特徴からイメージされる意味を言葉の意味に含ませています。このような表現をメタファー(隠喩)と呼んでいます。「ひつじのようにかわいい。」と直接たとえていることがわかる「直喩」とは異なり、類似性の連想に基づいて、「ひつじ」の特徴から連想される事柄を、人間のような他のカテゴリ―のものにあてはめて表現します。

つまり、「気が弱くて臆病だ」という抽象的なことがらを、「ひつじ」という具体的なものを使って表すのです。そのため、その動物とその国との関わり合い方やその動物に対する認識によって、同じような意味で使われていることもあれば、全く異なる意味で使われていることもあります。

たとえば、私たちに最も身近なペットである犬について考えてみましょう。

日本語では、「犬」は古くから生活の中に存在してきた動物ですが、あまりいい扱いをされていません。「犬の遠吠え」「あいつは警察の犬だ」「犬死に」など、人間より劣っていて卑しくくだらないもの、無駄なものという意味で使われています。今これだけ人々に愛されている犬が、このような表現でしか使われていないことに改めて驚いてしまいます。

この傾向は、英語でも同じで、 “He is a dog.”が密告者や裏切り者を表したり、“The man died a dog's death . ”(犬死にをした)、 “to go the dogs ”(落ちぶれる)のように卑しく劣っている無駄なものという捉え方がされていて、いい扱いをされていないことがわかります。

ただ、英語では、“You, sad dog!”、“You, jolly dog!”などの形容詞と一緒に使う言い方で「おまえは困った奴だな」、「愉快な奴!」という意味で親しみを込めて相手を表現することがあるそうです。同僚的用法と呼んでいる研究者もいますが、話し手から相手への愛顧、反語、同情などの情緒的ニュアンスを伴った男同士のつき合いで使われると説明されています。つまり、 “dog”に愛すべき仲間という意味が含まれているのです。

現在、日本では犬と言えば愛玩動物であり、ペットの犬は家族の一員や友人としてかけがえのない存在ですから、このような親しみを込めた意味で使われることがあってもよさそうですが、昔は、人間と動物の立場や役割が明確に分かれており、犬はあくまでも町をふらつき残飯を漁る野良犬として捉えられていました。

町で野良犬が見られなくなったのは、1970年代に入ってからだとしている文献もあり、実は、犬が家庭でペットとして飼われたのは、長い歴史の中では最近のことなのです。

それに対して、イギリスでは、かなり古くから家の中で犬が飼われており、躾を受けた上で、餌を与えられ家族と一緒に暮らす親密な関係にありました。このような犬と人間との関係についての歴史が異なることから、「犬」についてのメタファーも随分異なっているのかもしれません。

また、文化によって異なる意味で使われている動物もあります。

たとえば、「狐」の場合、日本文化では、稲荷神の使いとしての立場もありますが、日本語の中では、「狐につままれる」で「狐に騙された時のように訳が分からなくなった状態」を表すなど、人を騙すずるいものの象徴として捉えられています。「あの人は狐だ。」と聞けば、「ずるい人、悪い人」だから注意しなければと人々は警戒します。

英語では、“He is an old fox.”と言えば、「彼は海千山千でずる賢い人だ。」という意味で使われ、日本語と同様に狐が人を騙すずるいものの象徴として使用されています。

しかし、女性に対して使うと全く異なり、“She is a fox.”、“She's foxy.”と言えば、その女性は「魅力的でセクシーな人」であることを表しています。英語圏では、セクシーなことは女性に対する褒め言葉ですから、肯定的な表現になります。また、騙すという意味が含まれていても、チェスやゲームなどの駆け引きの場面で“That's a foxy move.”(それは狐のような動きだ)と言えば、「それはいい手(動かし方)だ。」という肯定的な意味となり、相手への賛辞となります。

狐が否定的にだけ捉えられず、たとえるものによっては、好意的な表現に変わるというのが面白いですね。

動物を使ったメタファーを調べることで、それぞれの国での動物に対する認識や捉え方が分かります。あなたも、動物のメタファーを通して文化や歴史の違いを見つけてみませんか。

荻原 稚佳子

慶応義塾大学法学部、ボストン大学教育学大学院を経て、青山学院大学大学院国際コミュニケーション専攻博士課程修了。明海大学外国語学部日本語学科准教授。専門は外国人への日本語教育、対人コミュニケーションの言いさし(文末を省略した発話)、語用論。著書に、『言いさし発話の解釈理論―会話目的達成スキーマによる展開―』(春秋社)、『絵でわかる日本語使い分け辞典1000』(アルク)、『日本語上級話者への道―きちんと伝える技術と表現』(スリーエーネットワーク)などがある。

記事一覧