忘れ得ぬ言の葉

先年十二月初旬のうす曇りのある朝、教えている大学の山の上のキャンパスの北門にたどり着くと、周辺の木立の中から、常ならぬ姦しい鳥たちの声が聞こえてきた。

ピーヨピーヨと甲高くさえ聞こえたのは、なじみのヒヨドリたちの声。秋口、民家の庭でピラカンサの赤い実や柿の実をついばんでいる姿は、幼い頃から冬枯れの武蔵野で親しんだもの。

それにしても大群だ。きっと冬の渡りの最中なのだろう。このキャンパスには欅の大木もあり、山茶花の蜜にもありつけるから、一夜の宿としたに違いない。

そういえば、いつかNHKの動物番組で、夏を過ごした北海道から、季節風を利用して冬の荒波の津軽海峡を、天敵の襲来を避けながら大群で渡るヒヨドリの生態を観たことがある。このヒヨドリたちも、そんな遠くから来たのだろうか。

ふと、ある一行詩が思い浮かぶ。「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」。この詩を覚えたのは小学三年のとき。通っていた小学校で、その前年までは保護者も観覧できる学芸会だったものが、児童と教員だけの学習成果発表会に変わった年のこと。私たち小学三年生は、その年、英語の詩を暗誦して、一斉にコーラスしたり、掛け合いをした。

そして、私たちには知らされていなかったが、当日は教員による発表もあった。一人の先生が舞台に登場してびっくりしたが、その先生が私たちにしてくれたのが、かの詩の講釈。同時に二、三編の詩の解説があったはずだが、大きな白い紙に、黒々と大書されたこの一行詩だけが、今でも鮮明に記憶に残る。

その発表をしたのは、小学校には珍しい、国語専任の男の先生。普通、国語科は小学校なら担任の教える科目だが、この先生は、硬筆と毛筆習字、読書、作文などを教えるほか、ときに教科書には載っていない詩の授業もしてくれた。

小柄でも肩幅が広いこの先生は、ゆるゆるとした背広を羽織袴のように身にまとい、鼻の下には髭を蓄え、髪は撫でつけないまま。当時の教員や勤め人の髪型といえば、みな整髪剤できっちり七三に分けて固めていたから、そのザンバラぶりは異色だった。六年の間、その先生が担任を持つことはなかったから、学校でも、保護者の間でも、何とはなしにこの先生が疎まれていることはわかった。

しかし、「てふてふ」と「韃靼海峡」という鮮烈な取り合わせを教えてくれたのも、板書で「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。」を教えてくれたのも、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」を帳面に書き写させ、暗唱させたのも、この先生だった。

子どもの眼にも「孤独」としか言いようのないものを身にまとい、荒ぶれた風貌の中から小学生に「詩」を教えてくれた人の消息は、ほかの恩師たちと違って漏れ伝わらず、そのだみ声だけが脳裡にこだまする。あのあと先生は、どこへ渡って行かれたのか、知る由もない。

阿部 由美子(あべ ゆみこ)

東海大学湘南校舎国際教育センター非常勤講師(日本語教育)