世界の言語から見た日本語のコミュニケーション

日本語を学んでいる外国の方は、映画を見て日本語の勉強をすることがあります。大学でも留学生向けの日本語クラスで、自然な日本語や日本人の行動・文化について学ぶために映画はよく利用されます。

授業である映画を見ている時、登場人物の男性が相手の男性に向かって、「今日は腹を割ってとことん話し合おう。」と、誤解からこじれた人間関係を修復しようとする場面がありました。その場面の直後、DVDを止めて内容について確認を始めようとした時、留学生が一言、「先生、今でも腹切り、ありますか」と不安そうな顔で尋ねました。

私はその留学生の言っている意味が一瞬わからず、驚いて「腹切り?切腹ですか。」と聞き返しました。すると、留学生は、「あの男の人は腹を割って何とかと言いました。」と言うのです。

「腹を割る、確かにねえ。」と私は思わず笑ってしまいました。この慣用句の意味を知らなければ、文字通りの意味に解釈し、日本文化をある程度知っているので、「日本、侍、武士道、切腹」と連想し、「腹を割る」=「切腹」と考えても不思議はありません。

慣用句の意味を教えたら、その留学生は、ほっとした顔で、「わたしはいつも友達と腹を割って話しますよ。」と明るく言っていました。

このような体の一部を使った慣用句は、日本語にとても多くあります。

「頭にくる」「顔が広い」「目が利く」「耳が早い」「口が堅い」「首を洗う」「胸をなでおろす」「腰が据わっている」「腕がいい」「足がつく」と、体の部分ごとにさまざまな慣用句があります。

このような慣用句は、「顔が広い」と言っても、文字通りの意味で、本当にその人の「顔」が幅広くて大きいわけではなく、「顔」が「その人の人間関係の幅、交際範囲」を表して、知り合いが多いことを表しています。つまり、抽象的な概念である「交際範囲」について具体的なものである「顔」でたとえているのです。

このようなものをメタファーと呼んでいます。「人生は旅である」などの表現も、いろいろな出会いと出来事がある「人生」を、身近な「旅」にたとえているメタファーです。

このようなメタファーによる慣用句は、どの言語にもありますが、たとえ方が言語によって異なる場合があります。

例えば、先ほどの「腹を割って話す」は英語の場合、”have a heart to heart talk“と表現しますし、「腹黒い」は”black-hearted“となります。つまり、日本語では、「腹」に人の本心・本音があり、それをさらけ出して正直に話すときは「腹を割る」し、本心に邪念がある場合は「腹黒い」となるのです。

けれども、英語では、その本心は、”heart”、つまり「心臓」にあるのです。皆さんにとって「心臓」に本心があるという感覚に違和感はありませんか。

私には、心臓の中に何かあるようには思えず、お腹の中のほうがしっくりきます。

さらに言えば、英語では、”heart”を使ったメタファーが数多くあり、"to lose one's heart" (恋に落ちる)、 "cold-hearted" (心の冷たい)、"heartbreaking" (胸が張り裂けるような)など、"heart"は「本心」だけでなく「心」も表し、感情や感覚的なものが「心臓」を使って多くたとえられています。

その一方、日本語では「心臓」を使った慣用句は非常に少なく「心臓が強い」「心臓に毛が生えた」で使われるくらいで、「厚かましさ」「ふてぶてしさ」を表しています。

このように、メタファーによる体の一部を使った慣用句を見れば、その文化で各部分がどのような場所として捉えられているかがわかります。

日本語では、「胸」は「胸が熱くなる」「胸が裂ける」「胸が一杯になる」「胸がすく」など、「情」を表すときにたとえとして使われていますし、「頭」は「頭がいい」「「頭が切れる」のように「知性」や「脳の働き」を表し、「腕」は「腕が立つ」「腕に覚えがある」「腕が上がる」「腕を磨く」など、「腕力」から転じて、「技能や技術」を表すたとえとして使われています。

そして、このようなメタファーを通して、知らないうちに、体の各部分がそのような働きをする場所だという感覚が、より強化されていくとも言えます。

だからこそ、このような慣用句を使ったり聞いたりした時に違和感を感じないのです。

皆さんはお腹の中にご自分の本心や本音が隠されている感じがしますか。それとも、心臓に隠されている感じがしますか。

荻原 稚佳子

慶応義塾大学法学部、ボストン大学教育学大学院を経て、青山学院大学大学院国際コミュニケーション専攻博士課程修了。明海大学外国語学部日本語学科准教授。専門は外国人への日本語教育、対人コミュニケーションの言いさし(文末を省略した発話)、語用論。著書に、『言いさし発話の解釈理論―会話目的達成スキーマによる展開―』(春秋社)、『絵でわかる日本語使い分け辞典1000』(アルク)、『日本語上級話者への道―きちんと伝える技術と表現』(スリーエーネットワーク)などがある。

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