世界の言語から見た日本語のコミュニケーション

先日、あるレストランへ車で食事に行きました。駐車場がなかなか見つからず、お店の方に伺ったら、「店の裏に当店の駐車場がありますので、そちらにご駐車されてください。」と案内係の男性が教えてくれました。

とても感じのよい対応だったのですが、私はどうも落ち着かずもやもやとした気持ちになりました。

そして、食事を注文し、おいしそうな料理が運ばれてきました。「こちら海の幸のグラタンになります。」と、ウエイターの方がにこやかにお皿を私の前に置きました。「ああ、そうなりますか。」と、ちょっと言い返したい気分になりました。

食事も終わり、お会計をレジでしました。「クレジットカードもご利用できます。どうぞご利用してください。」とレジの女性は笑顔で対応してくれました。

料理もおいしく、感じのいいお店でしたが、少し残念な気持ちで店を後にしました。

皆さんは、私がどうして残念な気持ちになかったのか、お気づきになりましたか。その理由は、敬語の使い方にあります。

コミュニケーションにおいて、相手に気遣いを示したり、敬意を表したりして人間関係に配慮するのは、万国共通で特に珍しいことではありません。英語でも、同じ内容のことを話すにも、丁寧さによって言い方を変えることはあります。

例えば、“Direct me to the station.”(駅までの道を教えて) より ”Will you direct me to the station?” のほうが丁寧な言い方ですし、それより、”Won’t you direct me to the station?” や ”Could you direct me to the station?” のほうがもっと丁寧な言い方になります。

つまり、文の形式を、疑問形や否定形、過去形にすることで、表現が丁寧になるのです。日本語で、「道を教えて。」と言うより、「教えてくれませんか。」「教えてもらえないでしょうか。」などのほうが丁寧になるのと同じです。

このような人間関係に配慮した表現を待遇表現と言います。

けれども、「お客様が来ます」を「お客様がいらっしゃいます」と言ったり、「私が来ます」を「私が参ります」と言ったりするような、尊敬動詞や謙譲動詞などの敬語を持っている言語はそれほど多くありません。

それに、それらの敬語をはじめとする待遇表現を、誰に対してどのように使うかは、文化によっても異なり、使いこなす難しさがあります。

例えば、日本語コミュニケーションでは、社内では上司に対して「部長、今日はどちらでお昼を召し上がりますか。」と尊敬語を使って話しますが、社外の人に対して、部長のことについて話すときは、「部長の田中は、あいにく外出しております。」と謙譲語を使って話します。表現する人と、話の相手との関係性によって使い分けるという複雑さがあるのです。

また、韓国語は絶対敬語なので、たとえば、自分の親のことを話すには、常にだれに対しても敬語を用いて話します。

もし、自宅に父親をたずねてきたお客様に、「私のお父様は、今日仕事に行っていらっしゃいます。」などと話したら、韓国では礼儀正しい子どもだと言われますが、日本では話し方を知らない子供だなと思われてしまうかもしれません。敬語などの待遇表現の使い方は、このような違いもあるのです。

待遇表現の使い分けは、文化の中の使い分けでもあり、社会常識の表れでもあります。そのため、間違った使い方をすると、話している人は気を遣って話したつもりなのに、聞いている人にとってはかえって心地の悪いものになってしまいます。

さて、レストランの話に戻りましょう。店員さんはおもてなしの気持ちで心を込めて接客をしてくださっていましたが、敬語の使い方を間違えたばかりに、私はその誠意をきちんと受け取ることができませんでした。

まず、駐車するのは客の私ですから尊敬表現を使用するべきところですが、謙譲表現の「ご・お~する」の形を使い、「する」の部分を「される」に変えて使っている点が間違っていました。

尊敬表現の「ご~ください」の形で「ご駐車ください。」と言うか、「ご・お~になる」の形で言います。「ご駐車になってください。」とは言いにくいので、「お止めになってください。」と言うほうが使いやすいでしょう。

次に、「~になります」の表現は、マニュアル敬語として批判されている表現ですが、待遇表現ではなく、全くの誤った使い方です。「海の幸のグラタンです。」や「海の幸のグラタンでございます。」と丁寧語を使うべきでしょう。

さらに、「ご利用できます。」は、「ご・お~する」を可能形にした謙譲表現で、お客様には使えません。お客様に対しては、尊敬表現の「ご・お~になる」の形、つまり、「ご利用になります」の可能形である「ご利用になれます。」と言うのが正しい言い方です。

「ご利用してください。」は、「駐車する」と同様に「ご利用ください。」、または、「ご利用になってください。」と言うのが正しい使い方になります。

敬語などの待遇表現を使うのは難しいと思われるかもしれませんが、その規則を学んでおけば、日本的な細やかなおもてなしの心を表せる便利な表現です。

せっかくの心遣いを相手にきちんと伝えて気持ちのいいコミュニケーションをしたいですね。

荻原 稚佳子

慶応義塾大学法学部、ボストン大学教育学大学院を経て、青山学院大学大学院国際コミュニケーション専攻博士課程修了。明海大学外国語学部日本語学科准教授。専門は外国人への日本語教育、対人コミュニケーションの言いさし(文末を省略した発話)、語用論。著書に、『言いさし発話の解釈理論―会話目的達成スキーマによる展開―』(春秋社)、『絵でわかる日本語使い分け辞典1000』(アルク)、『日本語上級話者への道―きちんと伝える技術と表現』(スリーエーネットワーク)などがある。

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