世界のから見た日本語のコミュニケーション

大学は、2月はとても忙しい時期です。学年末であり、4月からの新学期の準備の時期でもあり、いわゆる盆と正月が一緒に来たような忙しさになります。さらに、卒業や交換留学生の留学修了の時期で重なり、お別れ会や打ち上げ会なども多く開かれます。

先日も、韓国と台湾からの交換留学生とのお別れ会がありました。その時に、日本で一番大変だったことを聞いたところ、「日本語が使えるようになっても適切に使うのは、本当に難しい」と言っていました。「使えるのに適切に使えない?」と不思議に思われるかもしれませんが、そこが日本語と日本語コミュニケーションの違いなのです。日本語の文法的な意味はわかっていても、本当に意図したことがわからなかったり、相手やその状況に適切に対応して話せなかったりする難しさが日本語コミュニケーションの難しさなのです。

中国人留学生のAさんは、いろいろな国から来た留学生と日本人学生が集まる交流会に行って、いろいろな人と知り合いになり、交流会の後で「パスタでも食べに行かない?」と誘われたそうです。けれども、すでに遅い時間になっていて、寮に住んでいるAさんは、すぐ帰らなければならなくて、残念だったけれども二次会は断って帰ったそうです。Aさんだけでなく、日本人学生のBさんも二次会には行かなかったそうです。ただ、断った時のみんなの反応が、Aさんの場合とBさんの場合では全然違ったそうです。

中国人のAさんは、中国人の友達にいつも言うように「寮の門限があるので、行きません!」とはっきりと言ったそうです。そうすると、さっきまで笑顔でおしゃべりしていた周りにいた人たちが、一瞬で硬い表情になって、少し沈黙があった後、「あ、そうですか。」「寮だったら、しかたないね。」と言ったそうです。そのあと、日本人のBさんも断ったそうです。

その時Bさんは、「せっかく誘ってもらったんだけど、私もちょっと今日は。。。ごめんなさい。」といかにも申し訳なさそうに話したそうです。そうすると、周りのみんなは、「いいよ、いいよ、気にしなくても」「そうだよ、今日は突然だったからね。また行こうね。」とBさんを慰めているように見えたそうです。

この二人の言い方の違いとその周りの人の反応の違いを、日本人の方なら、すぐ理解できるでしょう。Aさんの言い方は直接的ではっきり断る言い方だったのに対して、Bさんの言い方は、断りの言葉は一言も言わない間接的な言い方で、謝りや残念な気持ちを述べています。相手にもよりますが、それほど親しくない方に対して、日本人はこのような言い方をする人が多いのではないでしょうか。

世界のコミュニケーションの中には、分かりやすく話すことがよしとされ、直接的な表現で話すことがいいという言語文化もあります。そういう言語文化を背景に持つ人々であれば、日本的な話し方をしたら、「ちょっと今日は、何ですか?」と聞いてくるかもしれません。

また、同じ断る場合でも、日本人の場合は、「今日はそのつもりでなかったし、寮に住んでいるから門限も厳しいし、本当は行きたいけど、行けないんです。本当にすみません。また誘ってください。」というふうに、行けない事情や理由を詳しく述べて、お詫びとともに関係修復のための言葉を添えるという話し方をします。

けれども、中国語コミュニケーションでは、「今日は行けないんです。残念です。」というふうに、行けないことをまず告げて、残念な気持ちだけを述べるという言い方をして、特に行けない理由を相手に話さないことが多いと言われています。

単に、理由を言うかどうかだけの違いじゃないかと思われるかもしれませんが、日本人の場合は、行けない理由を何も言わないと、本当に理由があって行かないのか、単に行くのが嫌なのかなどと変に勘ぐられてしまうかもしれません。それに、誘った返事で、いきなり「行けない」と言ったら、それだけでちょっと感じ悪いと思われてしまいます。

同じように「行けない」ということは伝えているのに、最初に断りの言葉を伝えたり、断る理由を述べなかったりすると、「行けない」ということだけでなく、あまり良くない雰囲気を生み、人間関係に影響を与えてしまうのです。

しかも、都合の悪いことに、このようなコミュニケーション上の適切性については、文法書のどこにも書いてないので、知らないで自分の母語のコミュニケーションと同じやり方で話している人が多く、相手が自分の話し方について、どのように感じているかを知る術もないのです。

日本人が英語で話すときに、このような日本的なコミュニケーションの仕方をしたら、きっとわかりにくい話し方になってしまい、自分では丁寧にきちんと話したと思ったのに、相手から“So, what?(それでなに?)”と言われてしまうかもしれません。

何かをするときに、どんなことをどんな順序で話さなければならないのかを学ぶことが、その言語のコミュニケーションを学ぶということです。

留学生のAさんも、留学経験を通して多くの日本語コミュニケーションの仕方を学んだそうです。生きた言葉を学ぶとは、そういうことなのでしょう。

荻原 稚佳子

慶応義塾大学法学部、ボストン大学教育学大学院を経て、青山学院大学大学院国際コミュニケーション専攻博士課程修了。明海大学外国語学部日本語学科准教授。専門は外国人への日本語教育、対人コミュニケーションの言いさし(文末を省略した発話)、語用論。著書に、『言いさし発話の解釈理論―会話目的達成スキーマによる展開―』(春秋社)、『絵でわかる日本語使い分け辞典1000』(アルク)、『日本語上級話者への道―きちんと伝える技術と表現』(スリーエーネットワーク)などがある。

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