日本語クリニック

 「そばよりかうどんが食べたい」というように、格助詞の「より」に副助詞の「か」がついた「よりか」が使われることがありますが、どうして「か」が必要なのでしょうか。「そばよりうどんが食べたい」で間に合いませんでしょうか。以下で詳しく検討します。
 まず国語辞典の掲載状況を見ると、「よりか」を載せる辞書と載せない辞書とに大きく分かれます。載せない辞書は『岩波国語辞典 第8版』『旺文社国語辞典 第11版』『新潮現代国語辞典 第2版』『新明解国語辞典 第8版』などです。「よりか」を載せる辞書には『学研現代新国語辞典 改訂第6版』(『学研』)、『現代国語例解辞典 第5版』(『現国例』)、『三省堂国語辞典 第8版』(『三国』)、『新選国語辞典 第10版』(『新選』)、『大辞林 第4版』(『大辞林』)、『明鏡国語辞典 第3版』(『明鏡』)などがあります。『新選』で語釈を確かめると、「比較の標準を示す。よりも。「それ―りっぱだ」」とあります。語感などについての注記はないので、標準語という扱いのようです。
 しかし、ここで疑問が浮かびます。「よりか」には、何かしら標準的ではないという感じがあります。2022年のNHK総合テレビで相撲担当のアナウンサーが「序盤よりかは」を「序盤よりは」と言い直すということがありました。これは、「か」に違和感を覚えたアナウンサーがとっさに放送に向かないと判断したものと推測します。それから、筆者が2022年に大学生100人に対して、「そばよりかうどんが食べたい」のような場合の「よりか」は標準的な表現か否かを問うたところ、約4割が非標準的とし、約3割が非標準的な表現ではあるが、間違いではないとの回答、約3割が「より」のほうが適切ではあるが、「よりか」も問題はない言い方との回答、このような結果を得ています。「よりか」が「より」または「よりも」「よりは」よりも標準的、適切という指摘はありませんでした。

「よりか」の文体的特徴

 では『新選』以外の辞書では、どのように記述しているでしょうか。『学研』は「くずれた言い方」、『現国例』は「話し言葉で用いられる」、『三国』は「話しことば」、『明鏡』は「くだけた言い方」といった書き方をしています。『大辞林』が「「か」は語調をととのえるために軽く添えられたもの」とするのがやや異質です。初版が1960年の『三国』を版ごとに比較すると、初版からすでに「よりか」の項目があり、俗語という扱いでした。俗語の表示は、2014年の第7版まで続きましたが、第8版では上述の形に変更されています。なお、第3版までは類語に「よりかも」が挙がっていましたが、1992年の第4版で「よりかも」は消えました。一般的に使われなくなったと判断されたものと思われます。「は」を添えた「よりかは」であれば、現在でも使われます。
 「よりか」は、江戸時代にすでに用例があります。『日本国語大辞典 第2版』(『日国』)には、1800年代のしゃれ本や人情本に使われた「よりか」の用例が複数示されています。「よりか」の「か」は、「本来、不定の意を表わす副助詞であったものが語調をととのえるために軽く添えられたもの」と説明しているので、『大辞林』はこれと同様ということです。しゃれ本などの用例が会話文に現れたものであり、くだけた言い方という感じはありますが、当時の人の感覚は確かめられないため、『日国』としては、語感について明記することはさけたものと推量します。

「より」「よりも」「よりは」「よりか」の比較

 以上をもとに筆者なりの考察を加えます。単独の「より」は、比較の基準を表します。副助詞「も」「は」を添えた「よりも」「よりは」は、積極的判断か消極的判断かという点で区別できます。「そばよりもうどんが食べたい」は、積極的にうどんが食べたいことを表し、「そばよりはうどんが食べたい」は、どちらもそれほど食べたくはないが、どちらかを選ぶならうどんにする、という程度の気持ちであることを表します。
 次に「よりか」です。「そばよりうどんが食べたい」は、「より」と「うどん」の間をひと息に発音する必要があるのに対し、「そばよりかうどんが食べたい」とすれば、「か」の1拍分、「時間稼ぎ」ができるので、後ろにどんなことばを続けるかわずかながらも考える余地が出ます。「か」を伸ばして発音すれば、もっと長く時間ができます。同様のことは「よりも」「よりは」でもできそうですが、これらを使うと、それぞれ積極的・消極的という意味が前面に出るので、そのことが意味に関係なく語調を整える(時間を稼ぐ)という目的にとって邪魔になります。なお、副助詞を使わずにヨリーと長音化することによって時を稼ぐ、という人も中にはいるかもしれません。

まとめ

 では、語調を整える「か」は、話しことばにおいて必要であるから、標準語として扱っても問題がないと言えるでしょうか。前述したように、「よりかは→よりは」に言いかえようとするアナウンサーがいたり、標準的ではないと感じる学生が多かったりするという事実があります。なぜでしょうか。それは、比較をするなら「より」で事実のみを言えばよい、積極的か消極的かという違いによって「よりも」「よりは」を使い分けるのもよい、しかし不定の(確かではない)意の「か」を添えて「よりか」を用いることについては、判断をぼかすような印象があり、標準的であるとするのがためらわれる、という気持ちがどこかにあるからではないでしょうか。「そばよりうどんが食べたい」と断言したくない気持ちを表すために「か」を添え、その前向きではない気持ちが消極的な「は」を後ろに添えることを許すがゆえに「よりかは」が使われると考えれば、現代において「よりかは」が用いられ、「よりかも」が出てこない理由がわかります。「も」を添えたら自身の判断に対する前向きな気持ちが出てしまうからです。ぼかしたいという気持ちは、たとえば「景気がよくなるといいなと思います」と言わずに「景気がよくなるといいかなと思います」というふうに、「な」単独ではなく、「か」を添えた「かな」が現代社会で非常によく用いられることにも現れています。
 もっとも、ある博学の理系の研究者がテレビ番組などで話すときに頻繁に「よりか」を使うのを目にしますが、自信を持って話を展開する人であり、「よりか」を使うことによって、断言したくない気持ちが出ているとは筆者にはまったく思えません。したがって、「よりか」には、断言することをいとわない人が使う場合と、断言することをためらう人が使う場合と、二つの使用状況を区別する必要があるように感じられます(聞き手は、どちらなのか相手の表情を観察するなどして判断する必要に迫られます)。前者の場合、語調を整えるため、または単に口癖として「よりか」を使っている、という印象を聞く側はいだきます。口癖として使う人の中では、文頭に使う「なんか」と似たものとして「よりか」が捉えられているかもしれません。一方、後者の場合、はっきりしない言い方をするなといった印象を受け手はいだきます。
 「よりか」には、「よか」という「よりか」の短縮形があります。用例を一つ示します。

化粧品会社社長の大高長太郎:うちのとんだばやしがそっちいっとらんかね。きょうと(京都)からかけとるんだよ→クラブのママ・ふじ子:とんちゃん。んーまだなのよこんや(今夜)。たいていいまごろいらっしゃるんだけど。それよかおおたか(大高)ちゃんこのとこすっかりごぶさたじゃない。

映画「社長えんま帖」(1969年)

 この場合、拍数で語調を整えるという大義名分もなくなり、「それより」で間に合うこともあって、語感は「よりか」よりも俗な感じが強く出ます。それゆえ「よりか」は使っても「よか」は使わないという判断も可能です。

中川秀太

文学博士、日本語検定 問題作成委員

専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。

最近の研究
「現代語における動詞の移り変わりについて」(『青山語文』51、2021年)
「国語辞典の語の表記」(『辞書の成り立ち』2021年、朝倉書店)
「現代の類義語の中にある歴史」(『早稲田大学日本語学会設立60周年記念論文集 第1冊』2021年、ひつじ書房)など。

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