日本語クリニック

 最近、小売店などでよく聞く「お間違いありませんか(お間違いないですか)」(以下「お間違いありませんか」で代表させる)という言い方について、使い方に問題がないのかどうかという話です。アルバイトをしている大学生の教えてくれたところによると、バイト先のマニュアルにこの言い方を用いるように書かれているという場合と、この言い方はよくないから使わないようにと指示される場合と、いずれもがあるようです。

 敬語のつかない「間違いない」は、自分側の事柄について語る場合、次のように用いられます。

 近しい肉親を含む親戚づきあいを大事にしている人、というイメージがなぜこうもイラン人のハートに響くのかは分からないが、これで調査が格段にやりやすくなることは間違いがない。

岩崎葉子『「個人主義」大国イラン』

 みずからの判断の正しさを確信していることを表します。丁寧に言うなら「間違いありません」です。

 一方、相手側のことについて尋ねる場合は「か」をつけて「間違いないか」という形になりますが、これは立場が同等ないし下の相手でないと使えません。丁寧に言うなら「間違いありませんか」となりますが、疑問形の場合は「相手に確実さを問うことがぶしつけな行いでないかどうか」という条件を考える必要があります。親しい友だちであっても、何かの事柄について「間違いないか」「間違いない?」と聞くことは日常的な行為ではありません。使うのは、よほど疑わしいと感じる証拠がある場合に限られます。むやみに「間違いないだろうな」などと言えば、相手は「私を疑っているのか」「ウソをついているとでも言うのか」というふうに不快に感じることでしょう。

 では「間違いないか」はめったに使わないにもかかわらず、「お間違いありませんか」というように敬語の形をとれば、気軽に使ってよいということになるでしょうか。「間違い」が「あやまり」「あやまち」「しくじり」と言いかえられ、「間違いないか」が相手を疑いの目で見る言い方であることを理解する人であれば、丁寧な形だからといって、そのようなことを聞くのはまずいと感じるはずです。

 ところが実際には、さまざまな場面で「お間違いありませんか」が使われています。客が「Aのタバコをください」と言うと、店員が「こちらでお間違いありませんか」と尋ねる、営業担当者などが初めて電話をかけた相手に「こちら○○さんのお電話番号でお間違いないでしょうか」と尋ねる、宅配業者の配達員が開口一番「宛名お間違いないですか」と尋ねる(配達員が宛名を覚えていない)、薬局で受付担当者が「初めてのご来局でお間違いありませんか」と尋ねる、というようなことが日常的に行われています。当たり前に使われている表現だからおかしくないと言う前に、言われる側の気持ちになって考えてみてください。何も間違いなどしていないのにもかかわらず、どうして日常的に人から間違っていないだろうな、本当だろうなと確認されなければいけないのか、それがつらいという気持ちです。上記の例であれば、「合っていますか」「よろしいですか」「○○さま宛てのお届け物です」「ございますか」などを使えば十分です。

 相手ではなく自分が間違うこともあります。それゆえ自分のことなら「間違いありませんか」「間違っておりませんか」、相手のことなら「お間違いありませんか」と使い分けることができるはずですが、実際に使われているのはもっぱら「お間違いありませんか」のほうです。自分側の間違いについて述べるという意識はどうも薄いように感じます。たとえば前述のタバコの話などは、棚から店員が誤って取り出す場合もありうるので、自分側に間違いがないかどうかを「こちらで間違ってはおりませんか」と聞いてもいいはずです。ところが、すべて「お間違いありませんか」というように、間違いは相手側のものとして扱われているのが現状です。

 どうして、このような言い方が当然のごとく使われるようになったのでしょうか。それには言語的な理由(心理的な理由も関係する)と社会的な理由がありそうです。丁寧さの観点からは「いいか→いいですか→よろしいですか」というふうに段階が上がりますが、「よろしいですか」は、親や友だちとの会話では身につきません。使い方を学ぶ人がいる一方で(ホテルで働く大学生は、敬語の使い方を厳しく指導されるそうです)、「よろしいですか」を使わずに済ませたい人もいます。そういう人は「いいですか」あるいは「だいじょうぶですか」を使います(これにより「よろしいですか→結構です」ではなく「だいじょうぶですか→だいじょうぶです」というやりとりが生じます)。また、「ございます」も同様に日常的に身につくことばではないので、できればさけて通りたい表現です。それに対して「お間違いありませんか」は尊敬語、謙譲語、丁寧語(美化語)のいずれかを意識することなく、「お」をつければ丁寧になるという程度の感覚で使うことができます。「ありませんか」を「ないですか」にすれば、さらに日常的に使うことばで間に合うという感覚が強まります。これが「お間違いありませんか」が流行する言語的かつ心理的な理由です。

 次に社会的な理由として考えられるのは、「クレームをつける」消費者(「クレーマー」とも)が珍しくなくなったということです。偉いのは客だと勘違いし、店員などに対して攻撃的に苦情を言う。それに対し弱い立場の店員のほうが謝らざるをえない場合があります。このような社会では、名前や商品を確認する場合に、あとあと間違っていたとクレームをつけられても困ると思う人がいてもおかしくありません。それゆえ防御策として、「私は間違いがないことを今、確認しています。あとあと苦情を言われても当方としては困りますよ」という気持ちを込めた定型表現として「お間違いありませんか」を使うということです。

 「お間違いありませんか」が気持ちのよい、さっぱりした表現ではないことに異論を唱える人はいないと思います。社会を変えるきっかけになることを願って、この文章を記しました。

中川秀太

文学博士、日本語検定 問題作成委員

専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。

最近の研究
「現代語における動詞の移り変わりについて」(『青山語文』51、2021年)
「国語辞典の語の表記」(『辞書の成り立ち』2021年、朝倉書店)
「現代の類義語の中にある歴史」(『早稲田大学日本語学会設立60周年記念論文集 第1冊』2021年、ひつじ書房)など。

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