出典は漢籍でございますが

青表紙 あおびょうし を叩いた者にはかなわぬ

「青表紙」は青い表紙を多く用いた四書五経などの経書のこと。無学な者が小知を働かせても学のある者には敵わないという意

 文学部で歴史を専攻し、国語教師と日本語検定委員会公認講師の資格を取った挙句、現在経済学部で論文の書き方を教えている。割にデタラメな人生である。

 一応、専攻したのは中国古代史で、漢文必須の四年間を過ごしたので、上の経歴は日本語という一点では筋道立っている。なにせ英語の上級語彙が大抵ラテン語由来であるように、漢籍を出典とする日本語は多い。例えば、明治創業の有名企業、資生堂の社名は四書五経のひとつ『易経』の「至哉坤元万物資生」(大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。すべてのものは、ここから生まれる)から来ているし、「完璧」、「 牛耳 ぎゅうじ る」、「紅一点」のような身近な語も由来は漢籍なのだ。

 ところが、欧米においてラテン語を操る者は尊崇の対象であるのに対し、当方の場合「 狡兎 こうと 死して 走狗 そうく らる(すばしこいウサギが死ぬと猟犬は煮て食われる。功臣も用済みになれば殺される、の意)」と口走れば帰国子女の 家人 かじん に「何それ、ペルシャ語?それよりこの本、邪魔なんだけど」とダイニングテーブルに積んだ『新釈漢文大系』をリモコンで叩かれる。放映中の韓国ドラマは、 叛徒 はんと を炙り出すべく 逆臣 ぎゃくしん に担ぎ上げられる をした 庶出 しょしゅつ の王子の胸に矢が刺さり、 まさ に死なんとするところだ。そんな異母兄にとりすがる 世子 セジャ 様。この状況をまこと的確に表した語なのだが。

 そんな家人に漢籍の効用を説き続けること数年、ついに故事成語を学ぶと言いだした。

そこで、「 人口 じんこう 膾炙 かいしゃ する」を、「皆が喜んで口に入れる刺身や焼き肉のように、広く人の口にのぼるもの」教えたところ「じんこうかいしゃ!」と勝手に短縮する。新興の秘密結社じゃあるまいし。「 蛍雪 けいせつ こう 」に至っては「自学自習」に脳内で変換されている。極貧の苦学が小学校の週間目標並みに矮小化されてはたまらない。

 ああ漢籍の 凋落 ちょうらく ここに極まれり。聖賢の書を平気で叩ける者にはかなわない。しかし、それでは我が地位も連動して格下げだ。

 そこで、復権を期して始めるのが本連載である。古の賢人の言葉が令和を生きる俗人の行動をピタリと表す様をお楽しみいただき、漢籍に親しみを覚えていただければ幸いだ。願わくは「人口に膾炙する」が人口に膾炙せんことを。

香山 幸哉(かやま ゆきや)

日本語検定委員会公認講師

専攻は歴史学。文学修士(慶應義塾大学)。2017年から日本語検定委員会公認講師。
高校教員(国語科)を経て、現在は複数の私大で日本語、文章指導の講義を行う。