出典は漢籍でございますが

疾風に けい そう を知る

漢書 かんじょ おう 伝より。強風が吹くとどの草が強靭か分かることから、苦難に遭遇してはじめてその人の節操や意志の強さが判明するということ。 後漢 ごかん の初代皇帝 こう てい が、創業の功臣である おう を称えた言葉。

 連日の韓国ドラマ視聴によって人間の本質は醜さにあると悟った母より、それを再確認するカルタ会を開催するので参加せよ、とお達しがあった。

 一族雁首(がんくび)をそろえて始めてみれば、まあひどい。一人が札に手をのばすや左の者がその裾をひっつかみ、右の者が甲をつねる。ちなみに、読手は一族最年少の5歳児である。この発音不明瞭な読唱に、「なんだ、こんなのは親が有利だ」と勝てぬ喧嘩をさっさと放棄する父。「その醜いのを私もやるんですか」とぼやきながら連れてこられた唯一の非血縁者にして読手の親は、骨肉の争いを続ける三つ巴を尻目に着々と札を集め、「あれはどうかと思う。有利を自覚し、札を一部返納するのが本当だ」と舅がケチをつけたことを後日もれ聞き、「何をおっしゃる。一族の誰が勝っても禍根(かこん)を残しそうだから、私は皆さんの心の平穏のためにですね」と醜い場外闘争が続く。一人くらい清廉(せいれん)の士はおらぬものか。

 ありがたいことに、人間の本質は古今大差がなくとも、先人の事績が重なり世の中はずいぶん好転した。例えば、多様性尊重の気風である。コロナと前後し、学生の答案にも多様性を擁護するものが増えた。紙上の空論とはいえ人権尊重はまこと結構。そこでこんな出題をしてみた。

「OBが経営するとんかつ屋で歓迎会を行うことが通例となっているサークルに、イスラム教徒の新入生が入部しました。今年の歓迎会はどこで行うべきですか。ただし、費用は上級生50人の頭割り。とんかつ屋を使用すれば相場より5万円安くなるものとします」

 すると届く届く。J.S.ミルの功利主義まで持ち出し千円の追加負担拒否を正当化する者、「上級生にご馳走になる立場なのに、より高い店を使えとは何事か」とすでに自分の懐が痛んだがごとく噛みつく者、イスラム教徒を抜かしたLINEグループを作ってとんかつ屋でやってしまえとけしかける者、果ては「昨今は多様性の時代である。多様性の時代であるからには、このイスラム教徒を受け入れるサークルが一つくらいあるはずだ。わがサークルの配慮のなさが嫌ならそちらへ行けばよい」なる暴論が飛び出す。

 平和な教室の内さえこの 為体 ていたらく では、風雲急を告げる戦場で草がバタバタなぎ倒されるのも無理はない。得難い勁草ならずともとんかつを める太平の世。これが好転でなくて何であろう。

香山 幸哉(かやま ゆきや)

日本語検定公認講師

専攻は歴史学。文学修士(慶應義塾大学)。2017年から日本語検定公認講師。
高校教員(国語科)を経て、現在は複数の私大で日本語、文章指導の講義を行う。