
『春秋左氏伝』僖公二十三年より。晋の文公が即位前、亡命先の楚の成王に無事に晋に戻れた暁にはどんな礼をしてくれるか問われ、「晋・楚治兵し中原に会せば、其れ君を避くること三舎せん」と答えたことから、 畏 れはばかって遠くへ避けること。または相手に一目おくこと。三舎は、軍隊が三日間で進む距離。
畏れはばかってはいないが、遠ざけたいものがある。本邦冬の風物詩、おでんである。
この鍋料理、とかく口に合わぬ。そもそも魚のすり身が嫌いなので、具の大半がいけ好かない。野菜にしても、そんなに人参やジャガイモを煮込みたいならカレーでよかろう。コンニャクも加えて肉じゃがでもいい。大根はどうなる、と 半畳 が入りそうだが、味噌汁でいいではないか。
しかし、実家の調理担当者はこうした道理をいくら説こうがどこ吹く風である。晴れて独立を果たした日の喜びよ。さあ、これでようやく木枯らしと共に常備されるレトルトおでんとは縁切り、と勇み世の中へ踏み出せば、おでんを供しさえすればもてなしだと心得る店舗のなんと多いことか。ゆく先々の居酒屋やバーで「お通し」の名目で仇敵が再来する。このストレスが高じたとみえ、風邪を引きこんだ。 気息奄々 講義を終え、「だし汁で煮込んだものが食べたい」と控室でぼやけば「人はそれをおでんと呼ぶ!」と同僚が哄笑する。悲憤のあまり熱が出た。粥を求めに向かったコンビニでは「おでん」の幟が翻っている。敵を避けるには岩戸に籠るしかないのか。
そんな当方が一転、敬遠される立場になるのが「論作文」の講義である。毎回数百字の作文を課すこともあり、学生の自主性に任せたのでは人が集まらず、選択必修としたうえで選択の余地を数単位分しか残さぬことで履修者を確保している。
しかし、履修者の方も負けていない。AIに書かせる、前年の模範解答を転記する、といった策が 悉 く不首尾に終わった彼らは、次は執筆機会の減少に尽力する。
従って、普段は「〇〇は社会に好影響か悪影響か」と出題する課題を、「〇〇について自由に述べよ」のように切り替えた回は、顕著に「今週は熱が高くてどうしても答案が書けない」受講者が増加する。一度二度の未提出ならば、単位認定には響かないことを計算に入れての戦略的回避といえる。こんな時はどうするか。「それはお辛いことですね」と衷心から見舞いの返事を書いている。
だって、翌週の課題は「先週の課題で合格点を取得していない者は再執筆を行うこと」なのだ。毛色の変わった出題に応用がきく受講者は稀であり、二週費やすことが織り込み済みである。
逃げれば追われるのは世の習い。おでんで滋養をつけてきりきり執筆するがよい。
香山 幸哉(かやま ゆきや)
日本語検定公認講師
専攻は歴史学。文学修士(慶應義塾大学)。2017年から日本語検定公認講師。
高校教員(国語科)を経て、現在は複数の私大で日本語、文章指導の講義を行う。