出典は漢籍でございますが

駑馬 どば 鞭打 むちう

鞭駘録 べんたいろく 』「題鞭駘録」より。『荀子』修身篇の「夫驥一日而千里、駑馬十駕、則亦及之矣(足の速い馬は一日に千里を駆けるが、のろい馬も十日かければ名馬に及ぶことができる)」を元に、塩谷宕陰が著書に記した語。能力のない者に無理に能力以上のことをさせること。

 故事成語の由来ならば 饒舌 じょうぜつ に語れるが、世間話は苦手である。

 なにせ生まれ持った感性が一般からずれているので、心の内を素直に表明すると大抵の場合 軋轢 あつれき を生む。例えば、「うちの子、金魚が死んで食欲もなくなっちゃって」と眉を下げる人がいる。当方の感想は「そりゃあ、食費が減ってよろしいですね」である。模範回答が「お子さん、かわいそうに!」なのは承知しているが、心にもない事は言いたくない。そこで妥協して「次は多年草を育てては?」と返す。

 これでも微妙な顔をされるのだから、黙っているに限る。しかし、学生時代に一家で通っていた接骨院では沈黙の ぎょう を貫くわけにもゆかず、無理をしてしゃべっていた。すると父親経由で当方の就職先を知った院長、言うに事欠き「あなた、無口なのに先生なんて務まるの?」と笑う。

 一応申し添えると、院長の危惧は杞憂である。同調圧力の抜け穴を探りつつ言葉を発する世間話と異なり、読みやすい文章の書き方指南ならば正義はこちらにあるからだ。

 誤算は、世間とずれた感性の主が少数ながら各地に存在したことである。同類を嗅ぎつけた一匹狼が行く先々の大学で現れ、「人と話すのってダルいですよねー」と同調を要求する。当方は人の頭数に入らぬらしい。

 とりわけ 狷介 けんかい な一匹は「学生生活は世を忍ぶ仮の姿。いまに小説家として大成し、世間と縁を切る」腹づもりとのこと。その心意気は結構だが、彼の答案には一般感覚に照らし合わせて極端に乏しい句読点しかない。こうも読者を蔑ろにした執筆では、大成の前に生皮を剥がれはせぬか。「もっと句読点を」と吠えること十週。一度などは当人に代わってひとつひとつ朱入れした甲斐あってか、ついに位置、頻度とも日本語文法上妥当な句読点が答案に打たれた。

 そのかわり、体裁、論旨はともにめちゃめちゃで、「企業で嫌がられる人材とは、向上心がなく、協調性に欠け、  」と途中で力尽きていた。句読点を打つのがそれほどの難行とは。「先生基準だとここも必要かなあ」と逐一懊悩するうちに刻限を迎えたそうで、悩まず打つよう命じたところ、次回は大過なく世間並みの答案が仕上がった。

 『鞭駘録』は駑馬を 十駕 じゅうが させる すべ として、「これを鞭うち、これを鞭うち又鞭うつ」ことを目的地に着くまで百年でも続けよと説く。動物愛護の昨今といえど、のろまの馬が厩舎を追われる現実に変わりはない。やはり正義は我にあるのだ。

香山 幸哉(かやま ゆきや)

日本語検定公認講師

専攻は歴史学。文学修士(慶應義塾大学)。2017年から日本語検定公認講師。
高校教員(国語科)を経て、現在は複数の私大で日本語、文章指導の講義を行う。