出典は漢籍でございますが

(いん)(かん)(とお)からず

『詩経』大雅(たいが)(とう)より。(いん)(かがみ)とすべき手本は遠い時代に求めずとも、同じく悪政で滅んだ前代の()にある、の意。失敗の前例は身近にあるので、それを戒めとせよということ。

 職業柄というわけでなく、昔から文字を見るとつい目で追ってしまう。

 ところが、世人はそうでもないらしい。院生時代、当時は希少だった羊料理を出す店に出むいた折、各国の羊料理が並ぶメニューを()めつ(すが)めつした(のち)、連れは「牛の臓物カレー」を選択した。これも大学周辺では遭遇しがたい珍味とはいえ、遠出の趣旨には反する。帰りがけ、羊を食べずじまいなのはよいのか聞くと「えっ! なぜ言ってくれない」と叫ばれた。なぜも何もない。書いてあったではないか。別の者も「ランチはミニサラダがつきます」と「*」付きの記載があるメニューを眺めた後、Aランチと季節のサラダを注文した。野菜をしっかり摂取したいのかと思いきや、「げ、ランチにサラダついてた」と二椀分のレタスに顔をひきつらせている。なお、登場人物は全員文学研究科の院生である。

 この経験を踏まえ、現在、講義にて積極的に開示したくない情報は資料の隅に小さく記すことにしている。公平を期し、小文字の「*」を使用した回は「小さかろうと、書いた以上こちらは説明責任をはたしたことになりますよ」と注意喚起を欠かさない。それでも、「*最終回の添削は希望者にのみ実施」の掲示を捕捉する者は稀である。

 ところで、当方の講義(論作文)ではタイトルや注釈の類を字数にふくまない。このため、答案の字数確認はWordの左下方に表示される単語数をそのまま採用することが叶わず、本文部をコピーして白紙の新規ファイルに「テキストのみ保持」で貼り付け、不要部分を消去したうえで計測している。この際、注釈がWordの脚注機能で作ったものであれば自動的に消滅してくれるが、手動で打っていた場合は「*1」から順に手作業で消すことになる。注を多用する答案だとだいぶ手間だ。

 幸い、首席学生の答案は文末の所々に小さな数字が表示されていた1。つまり、脚注機能を使っている。ならば上記の手順で本文のみが残るはずだが、計測の結果は当人の申告より8文字多い。なぜ? と冒頭から目を走らせ、あっと叫ぶことになった。

 文末の所々に、通常サイズに戻った数字が表示されていた。脚注機能ではなく、手打ちした数字を都度縮小処理し、脚注風に見せていたのである。その結果、機能を使えば使用順に振られていく数字が「1、2、1、3」と不自然な状態になっている。しかも、嫌な予感がして過去答案を読みなおせば、三回前からこの誤りは継続している!

 極小の数字を一つずつ赤字に変換する手数を想像されたい。おまけに、首席による啓蒙か複数答案がその処理をまねていた。にこにこ顔で最終回の添削を要求する彼女に表情を変えなかった自分をほめてやりたい。

1注の数と答案の質は概ね比例する。従って優秀な学生ほど注の使用回数が多くなる。

香山 幸哉(かやま ゆきや)

日本語検定公認講師

専攻は歴史学。文学修士(慶應義塾大学)。2017年から日本語検定公認講師。
高校教員(国語科)を経て、現在は複数の私大で日本語、文章指導の講義を行う。