上田まりえ「ことばのキャッチボール」

♪・・・・・・やっと食べれ~る! ・・・・・・ついに食べれ~る!

 某ファストフードチェーンのシーズン商品のCM。テレビから流れてきた歌に、家事をしていた手が止まりました。

 みなさん、「ら抜き言葉」をご存知ですか?

 私が「ら抜き言葉」の存在をきちんと意識したのは、日本テレビのアナウンサーに内定した大学生のとき。アナウンス部の先輩と食事をした際のことです。

先輩「苦手なものはある?」

上田「ありません! なんでも食べれます!」

先輩「“食べれる”は、ら抜き言葉だよ。覚えようね」

 いつもテレビで見ているアナウンサーの人と、テーブルを囲んで食事をしながらの会話。よく通る綺麗な声に、美しい日本語の表現と発音。アナウンサーになることを実感し、微かに覚悟のようなものを感じた、私にとって思い出深いワンシーンです。もちろん、そのとき食べたものの味は、一切覚えていませんが。

 つまり、「食べれる」ではなく「食べられる」が適切な表現なのです。

「ら抜き言葉」とは……

可能の意味を表すために助動詞「られる」の代わりに「れる」をつけた表現。

つまり、「ら」が抜けているように見える言葉のことを指す。

さらに細かく解説しましょう。

上一段活用・下一段活用・カ行変格活用の動詞 + られる(可能の意の助動詞)

ここから「ら」が脱落した語

 「ら抜き言葉」の代表例をご紹介します!「ら抜き言葉」と「適切な表現」、どちらも声に出して読んでみてください。

ら抜き言葉 適切な表現
食べる 食べれる 食べられる
見る 見れる 見られる
出る 出れる 出られる
起きる 起きれる 起きられる
決める 決めれる 決められる

 どうでしょうか? 「ら抜き言葉」に違和感を覚えましたか? それとも、自然に感じましたか? 自然だと感じたアナタ、ちょっと危機感を持ったほうがいいかもしれません。

 「ら抜き言葉」を使うことは、日本語表現の規範的なルールから逸脱しており、不適切であると言えます。また、少しくだけた言い方に聞こえますよね。俗語・若者言葉・話し言葉であるため、公式には使いません。

 昨今、「ら抜き言葉」は日常的に見聞きするものとなり、使う人も増えてきました。もしかしたら、数十年後、「ら抜き言葉」を不適切とするルールそのものが変わってしまうかもしれません。個人的には、そんなことは起こらないでほしいと、切に願っています。声に出したとき、たった一音「ら」が入ることで格段に音の美しさを感じることができると思いませんか? おそらく、この「ら」の発音しづらさが「ら抜き」につながっているのだと推察されますが……。(ら行の発音が苦手な人は、アナウンサーでもたくさんいます)

 おそらく、普段の何気ない会話の中で文法を意識しながら話している人は、ほとんどいないでしょう。しかし、「ら抜き言葉」などのトラップがあると一度知ってしまうと、自分がいつも使っている言葉が間違っていないか、不安になりますよね。

 そんなアナタに、「ら抜き言葉」の簡単な見分け方をお伝えしましょう。

食べれる? 食べられる?
どっちが正しいのか迷ったら、命令形にしろ!

「食べれる」の「る」を取ると、「食べれ」になる。
「食べる」の命令形は「食べろ」だから、「食べれる」は「ら抜き言葉」である!

 では、「飲む」の場合はどうでしょうか?

「飲める」の「る」を取ると、「飲め」になる。
命令形が成立するから、「飲める」は「ら抜き言葉」ではない!

 コツをつかむことができましたか?

 つまり、動詞を可能の表現にした際、最後の「る」をとったときに命令形にならない場合は「ら」を入れるということです。

 また、同音異義語が多いのが、日本語の難しいところ。

 「切る」と「着る」は、「きれる」と「きられる」のどちらか一方が正解ではありません。

 「きる」は、それぞれ下記のようになります。

切れる → 「切れ!」
命令形が成立するので、「ら抜き言葉」ではない。つまり、「切れる」が正しい。

着れる → 「着れ!」
命令形は「着ろ!」
命令形が成立しないので、「ら抜き言葉」になる。つまり、「着られる」が正しい。

 例外もあります。

カ行変格活用の動詞である「来る」は、来る+「られる」=「来られる」

 一見ややこしいように感じるかもしれませんが、慣れてしまえば瞬時に判断できるようになると思います。ぜひ、迷う前に命令形にしてみてください!

 件のCMについて、私が思ったことは二つあります。

「“食べられる”だと語呂が悪かったんだろうな」
「一層“ら抜き言葉”の日常化が進むのだろうな」

 もし、私が作詞家で、あがってきた曲に歌詞をつけなければいけないとしたら……どうにか「ら」を入れ込むか、作曲者に事情を伝えてメロディーを変えてもらうと思います。メロディーと歌詞、どちらが先に作られたのかわかりません。もしかしたら、同時に作られたものかもしれません。社内に校閲担当者が存在していないのかもしれないし、作品として求めていたものが「食べれる」で表現できるキャッチーさだったのかもしれません。決して批判したいわけではなく、「なぜ、“食べれる”にしたのか?」ということが気になって仕方がなかったため、今回のコラムはこのテーマにしました。テレビを観ていると、話している言葉やテロップが気になってしまいます。職業病って嫌ですね。

 ちなみに、私もこの季節を待ち侘びている商品のファンの一人。「今年もやっと食べられる!」という気持ちで、お店に向かいましたとさ。美味しいものがたくさん食べられるこの季節、大好きです。

上田まりえ

タレント、日本語検定委員会 審議委員

1986年9月29日、鳥取県境港市生まれ。2009年、専修大学文学部日本語日本文学科卒業後、日本テレビにアナウンサーとして入社。2016年1月末に退社し、タレントに転身。現在は、タレント、ラジオパーソナリティ、ナレーター、MC、スポーツキャスター、ライターなど幅広く活動中。また、アナウンススクールとSNS・セルフプロデュースについての講師も務める。2019年、早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程1年制コース修了。
2021年7月14日には「知らなきゃ恥ずかしい!? 日本語ドリル」(祥伝社黄金文庫)を上梓。