忘れ得ぬ言の葉

明治の小説家、国木田独歩の小説に『忘れえぬ人々』という短編がある。

旅先でふと言葉を交わした人、海上から見た島の渚に貝を拾う人の遠影など、一瞬の出会いに過ぎないのに、なぜか脳裡を離れず、折りに触れ思い出す人のことを、主人公が旅先で出会った男に、物語る話だ。

中学か高校のときに手に取って、私には独歩のどの小説よりも忘れがたい一文だが、じつは私の言葉の貯金箱にも、これと似た「忘れえぬ言の葉」たちがある。

「この、ずくなしっ」

小学校も低学年の頃まで、何度かこの言葉で母に叱責された。どんなときに、この言葉をぶつけられたのか。たぶんに、私の行動が母の勘気に触れたとき、この言葉が母の口から突き刺さってきたように思う。

その言葉を聞くたび、私の気持ちは、「面罵される」というものに近かったか。もちろん、小学生の私は、「面罵」などという言葉は知らないが、それに近い思いが残った。

私は十八の年まで東京で育ったが、通ったどの学校でも、近所でも、この言葉が口にされるのを聞いたことはない。だから、これは母の父、つまり私の祖父にあたる人の本家があり、さらには、母が戦時中に疎開して、大学で東京に出てくるまでの年月をすごした、雪深い北信州の生活に由来する言葉であろうと、子供心にずっと考えていた。

私は、母の怒気に触れると、押し黙るほうで、母にその言葉の意味を問うなど、思いつきもしなかったし、それに、その言葉を耳にしたのは、ほんの数回だったように思う。

とにかく、「ずく」という濁音のせいもあって、心底いやな思いだけが残る言葉だった。

この「ずくなし」という言葉が、信州長野では誰もが知っている、ごく普通の言葉であることを知ったのは、つい最近のことだ。「ずく」とは共通語に訳しにくい言葉だそうで、「ものごとに立ち向かう気力、活力」を意味し、それが「ずくなし」となれば、「面倒臭がり、役立たず、怠け者、無精者」となるらしい。しかし、母のこの言葉に込める鋭さは、それ以上のものではなかったか。

大学時代に一度だけ、ある人に、この言葉が私の子供心に残した不快の感情と母の思い出について話したことがある。同じ研究科の上級生のご主人で、ぼさぼさの白髪を頂くその人は、話を聞いて即座に、「きっと、君のお母さんも、その言葉をそんなふうに頭ごなしに言われて育ったに違いない」と言った。

その瞬間、母の子供時代について、ほかのどんな説明よりも鮮明に理解できたと思い、胸を突かれたこと、折りに触れ、思い出す。

阿部 由美子(あべ ゆみこ)

東海大学湘南校舎国際教育センター非常勤講師(日本語教育)