忘れ得ぬ言の葉

2012年の夏、アニメで宮沢賢治原作『グスコーブドリの伝記』が上映されるというので、学生を誘って観に行った。

アニメのあらすじは、原作とほぼ同じである。「猫」による造形は、かつて上映された『銀河鉄道の夜』と同じように、現実の誰でもないかわりに、私たち誰もが登場人物になり得るしかけとして成功していたと思う。

ところで、原作の『グスコーブドリの伝記』は、火山局に勤めるブドリが、冷害による凶作で苦しむイーハトーヴの人々を救う話である。
ブドリは研究を重ね、クーボー大博士のところへ相談をしに行く。火山島を爆発させることにより、気層の炭酸ガスを増やして「地球全体を平均で五度ぐらい暖かくする」という仮説は、理論的には正しいようだが、仕事に行った最後の一人は逃げられない。
ブドリは、成功しなかった場合の「くふう」をペンネン技師に託し、一人でカルボナード島に残った。次の日、「青ぞらが緑いろに濁り、日や月が銅(あかがね)いろ」になった。三四日たつと、気候は暖かくなっていき、イーハトーヴの人々は、「その冬を暖かいたべものと、明るい薪(たきぎ)で楽しく暮らすことができた」のだった。

物語では、冷害から救われた人々が、幸福になったことが示唆されている。しかし現代の日本に生きる私たちは、物語とは異なり、地球の温暖化によるヒートアイランド現象で苦しんでいる。
干ばつ、あるいは日照不足が、農作物に影響を与えている。人間が、利益や利便性のみを追求して環境を破壊した、自ら招いた結果でもある。

科学者であり、農業の実践者でもあった賢治は、現実においては、人間が自然を簡単に操作できないことを認識していたはずだ。しかし、自然の脅威に苦しむ農家の人々をなんとか救済したい。そういう強い思いから、「自己犠牲」という尊い精神を「物語」に書く必然性を見出したのだろう。

1926(大正15)年、賢治は岩手県立花巻農学校の教員をやめる。そして、体を酷使するかのように農作業をしながら、羅須地人協会という私塾を開いた。そこでは、夜に農家の人々を呼び、肥料等の農業技術や「農民芸術」を教えた。楽団結成のために練習した賢治愛用のチェロは、現在、花巻市にある記念館に展示されている。

『農民芸術概論綱要』は、羅須地人協会等で「芸術論」を講義するための記録のようなものだった。10章それぞれに10行位の短いメッセージが箇条書きのように記されている。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

たしかに、この言葉だけをとりあげて、賢治を危険な全体主義思想の持ち主とあげつらう人もいるかもしれない。
しかし賢治は、『農民芸術概論綱要』において、近代科学と求道心を重んじる宗教と美を本質とする芸術とのそれぞれ3つの要を取り入れることにより、いきいきとした農民の生活を確立しようとしていた。

おもしろいのは、『グスコーブドリの伝記』から窺われるメッセージとともに、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という賢治の考えを、現代の私たちが一種の箴言として受け容れることができるということなのである。

環境問題はもちろんのこと、宗教や民族闘争、世界に広がるテロリズム、そして国内でも東日本大震災後の原発問題等が未解決のまま残されている。
すべてが他人事で、自分ひとりの利益を求めているだけでは、「みんなのほんとうのさいわい」(『銀河鉄道の夜』)は得られないだろう。

私たちは、自分をとりまく世界や未来の人々の幸福のために、どこまで関心を示し、どこまで貢献することができるのか。

賢治のこの言葉は、多くの課題を現代の私たちに投げかけているようにも思われる。

大本 泉

仙台市出身。仙台白百合女子大学教授。日本ペンクラブ女性作家委員。専門は日本の近現代文学。
著書に『名作の食卓』(角川書店)、共編著に『日本語表現 演習と発展』『同【改訂版】』(明治書院)、共著に『永井荷風 仮面と実像』(ぎょうせい)等がある。