忘れ得ぬ言の葉

子どもの頃は身体が弱かったために、外でほとんど遊んだことがなかった。遊び相手は、もっぱら家の中での飼い猫である。そのためだろうか、今でも外で猫を見かけると、思わず声をかけてしまう。研究室では猫の置物が並び、猫の写真が壁一面に貼られている。部屋を訪れる猫嫌いの人にとっては、一種のハラスメントになるだろう。

猫の原種は、リビアヤマネコといわれている。博物館で剥製を見たことがあるが、中型犬位の大きさである。それが家畜化され、現在の猫になった。

日本では、奈良時代に中国から渡来したというのが定説のようである。留学僧が船で帰朝したおり、仏教の経典を鼠から守るために、猫を連れてきたという。古代エジプトでは猫をミイラにしたし、イスラム教では猫を大切にしているため、たとえばイスタンブールのモスク近辺では、たくさんの猫が幸せそうに暮らしている。猫は、宗教と密接な生きものなのだ。

『枕草子』(10世紀末)では「うへにさぶらふ御ねこ」といったセレブ猫が登場するが、庶民の生活に欠かせないのも猫である。『宇治拾遺物語』(13世紀)では、「子子子子子子子子子子子子」という文字遊びが見受けられる。かつて「ネ」を「子」と表記したので、「猫の子の子猫獅子の子の子獅子(ねこのこのこねこししのこのこじし)」と戯れて読む。たしかに、三味線の胴張にされたり、昔、医学の実験台になったり、人間の犠牲になることもあった。が、「猫に小判」「猫に鰹節」等といった猫にまつわる慣用句が多いのも、日本人が猫と共生してきた証拠である。

「ねこ」という名称についてだが、猫のある情報誌を読んでいたところ、鼠をとるのを「ネコ」、鳥をとるのを「トコ」、蛇をとるの「へコ」と呼ぶと書いてあった。だが、はたしてそうなのだろうか。外猫のパイド嬢は、捕まえた「蜥蜴」や「鯉」を時々玄関先まで届けにくるが、そのたびに「トコ」「ココ」と異なった生きものになるのはおかしいからである。やはり有力な説は、猫の鳴き声「ネー」に、親愛の情をこめて「コ」をつけて「ネコ」になったというものだろう。「猫」の音読み「ビョウ」も、中国語の発音「マオ」も猫の鳴き声から生まれたと思われる。

昨年、米国の有線テレビ局CNNが、「世界六大猫スポット」を発表した。米国フロリダにあるヘミングウェイ博物館、イタリアにある古代遺跡のラルゴ・アルジェンティーナ広場、トルコの地中海沿岸の街カルカン、アジアでは、台湾新北市にある侯硐(ホウトン)、そして日本の福岡県藍島、宮城県石巻市田代島である。

田代島は近いので、年に一度は訪れる。島に住む人より猫の数の方が多い。ひょっこりひょうたん島のモデルになった島だ。侯硐は、台北から電車で4,50分の距離にある。炭鉱が閉山した後、一種の村おこしで猫を保護し、観光地として成功した。町の随所にカーテンつきの猫個室がある。首輪をつけた、こぎれいな猫が多い。

はじめて行ったときに、雨音にも怖がる「びびり猫」(臆病な猫)ミャー嬢にぴったりなステッカーを旅のみやげとして買ってきた。玄関に貼ったステッカーを見るたびに、楽しい気分になる。

「小心猫出没」

小心者の猫(小心猫)が出没するという意味と解釈して買ってきた。しかし、台湾の意味では、「注意! 猫が出たり入ったりします」である。

意味の多少のずれはあっても、愛猫家は、世界でつながっているのである。

大本 泉

仙台市出身。仙台白百合女子大学教授。日本ペンクラブ女性作家委員。専門は日本の近現代文学。
著書に『名作の食卓』(角川書店)、共編著に『日本語表現 演習と発展』『同【改訂版】』(明治書院)、共著に『永井荷風 仮面と実像』(ぎょうせい)等がある。