忘れ得ぬ言の葉

1982年の春、韓国語を大学で習い始めた。

1980年代の始め、私の在学した大学では、韓国語は第三外国語扱いで、しかも、三年生にならないと履修できなかった。他の履修科目との関係で、私が履修登録をしたのは大学四年のとき。教員は韓国人だったから、当然のように『韓国語』と呼びならわした。今のように、「コリア語」「ハングル語」と、名称に気を遣うこともなかった時代の話。

春四月、集まったのは三人の学生。同じく四年の都市工学専攻の人と、日本史専攻の一年生と私。教科書は、担当教員の著書。薄い肌色のカバーのかかった、分厚い文法書だった(今では「肌色」も若い世代は使わない言葉だそうだが)。

不出来の学生で、一年目はまったくものにならなかったが、用例の中で目を引いたのが、「敬語」の項目に特殊表現として出ていた「눈님이 오신다」。「ヌニミ オシンダ」と読んで、「お雪さまがお降りになる」の意。「눈(ヌン)」(雪)に「さま」の「님(ニム)」がついて連音化して「눈(ヌ)님(ニム)」、自然現象にも敬語が使われる用例だが、日本語の「お日さま」「お月さま」は幼い日から馴染んだ言葉、すっと頷けた。

ただ、「来る」の原形「오(オ)다(ダ)」に敬意を表す「시(シ)」をつけて現在形「오(オ)신(シン)다(ダ)」、「いらっしゃる」「お降りになる」の意とし、自然現象の動詞にまで敬意を反映させるのは珍しかった。

「님(ニム)」は雅語で、恋しい人への呼称ともなり、詩や歌詞によく使われる。「ヌニミ オシンダ」は、その響きの美しさから心にとどめた用例だったが、後年、韓国に暮らしたとき、その響きが蘇ってきた。

最初に暮らした南部の釜山では、住んだ四年の歳月で雪に出会ったのは一回だけだったが、その後、移り住んだ首都ソウルでは、十一月ともなると曇天の空の下、しんしんと冷え込み始め、ある日、必ず初雪が舞う。大陸の端で出会う雪片は小さく、さらさらとして、日本のような牡丹雪になることは、春の名残りの雪の頃まで、まずない。そのかわり、寒気の鍋蓋ですっぽり覆われたような、空気の微動だにしない感覚の中で、ただただ音もなく粉雪が天空から舞い落ちる。

ソウルで非常勤講師として、十年勤めた女子大学では、ヒーターのない、中の造りは煉瓦、外は化粧石に覆われた建物に日語科(と呼んでいた)の事務室があった。

十月末ともなれば、用務員たちが、各事務室、研究室に据え付ける、春のうちによく磨かれただるまストーブと、連結式の煙突をずらりと建物の前の広場に並べ始める。それをひとつひとつ、各部屋に設置し、事務室の助教たちは給油で忙しくなる。

今でも初雪に出会えば、「ヌニミ オシンダ」の響きが口端に上り、あの女子大学の灰色の建物、灰色のストーブとブリキ製の煙突、灰色の空が脳裡に浮かぶ。

 すでにふた昔前、日語科の助教に「そういう表現はあるが、自分も使ったことはない」と言われた響きの記憶を、いと惜しむ十一月である。

阿部 由美子(あべ ゆみこ)

東海大学湘南校舎国際教育センター非常勤講師(日本語教育)