忘れ得ぬ言の葉

2011年9月から2012年3月まで、ロンドン大学の客員研究員としてイギリスに滞在した。

知命を過ぎてからのはじめての留学である。そして英語には苦労した。街で日本語に遭遇すると、なつかしかった。渡英後まもなくの頃である。地下鉄のエスカレーターに乗っていると、前に立っている男性のジャケットが目に留まった。背中にあるデザインの文字である。

「極度乾燥(しなさい)Superdry」

どういう意味なのだろう。きれのいい、ビール味のことなのか。あるいは、濡れた服を極力乾燥させなさい、という意味なのか。そもそもデザイン発祥の国は、どこなのだろう。 

彼を追い越して、さりげなく振り返ってみた。日本人ではない。台北の店の看板にひらがなの「の」が書かれていることが多いが、おそらく台湾人でもないだろう。白人の青年である。

図書館にいた大学院生に尋ねてみると、それはれっきとしたイギリスのブランド名だとのこと。意味は、ほとんど気にしていないらしい。若者に絶大な人気があるそうだ。

日本の「ユニクロ」がロンドンに上陸した頃でもあった。若者の間では、日本語、あるいは日本の文字を使うのがCoolで、ちょっとしたブームになっているらしい。

そういえば、昔、日本でも意味のわからない、誤字あるいは文法を度外視した英語やフランス語をデザインしたものが販売されていた。同じようなことなのだろう。

この週末に、東京の山手線内でその同じロゴのついた服を着ている青年をみかけた。彼が、国籍を超えた、中国語と日本語と英語を駆使する青年かのように見えてきたから不思議である。

「極度乾燥……」は、日本、英語圏、漢字を使用するアジアでも、誰もがおや?と思うブランド名だろう。目を引くデザインである。そこには、意味不明のまま国字の枠組みをとり払い、一緒に並べた漢字・ひらがな・アルファベットから立ちあらわれてくる、かっこいいイメージの共有とそのグローバル化が図られている。そこに、企業のネーミングに関するしかけがあったと思われる。

イメージは抽象的なもので、現実には、いい印象だけがあるわけではない。しかし、イメージから他文化の興味へ進展していくのも事実だ。国際間の相互理解のきっかけも、実は、日常のささやかなものに潜んでいるのかもしれない。

大本 泉

仙台市出身。仙台白百合女子大学教授。日本ペンクラブ女性作家委員。専門は日本の近現代文学。
著書に『名作の食卓』(角川書店)、共編著に『日本語表現 演習と発展』『同【改訂版】』(明治書院)、共著に『永井荷風 仮面と実像』(ぎょうせい)等がある。