忘れ得ぬ言の葉

2007年6月から2010年の7月まで、ベトナムのハノイ市で日本語を教えた。ハノイに着いて間もない頃、中級のクラスで比喩表現「名詞+のように」や「ほど」「ように」を勉強したときのこと。

いくつかの基本的な形容詞にどんな比喩表現があるか、日本語とベトナム語で対照しながら挙げていったら、学生から生活実感に富んだベトナム語の比喩表現が次々と出てきて、なるほどと大いに感心した。

例えば「多い」は、「蟻のように多い」。

ハノイでは、ちょっとでも食べ物を出しておこうものなら、たちまちアメ色の小さな蟻が小山のようにたかる。三年暮らすうちに、とにかく口の開いた食品は、調味料に至るまで、すべて冷蔵庫に入れる習慣がついた。今でも砂糖の袋を冷蔵庫に入れたい衝動に駆られるのは、その名残りだ。

「大きい」は?「かわいい」は?「難しい」は?と比較するうちに、「さびしい」は?となった。日本語だったら、「心にぽっかり穴が開いたようにさびしい」かしらね、と話したら、ある学生が、「ベトナム語では、お米のノートをなくしたようにさびしい、と言います」と教えてくれた。

「お米のノート、ああ、米穀通帳のこと」とすぐに合点がいったのは、わたしの子ども時代、まだ母が米穀通帳片手に米屋に米を注文していたからだ。1960年代のあの頃、米の配給制度はとっくに終わっていたが、米屋から米を購入するたびに、いちいち購入キロ数を米穀通帳に記載していた。

翻って、ベトナムは、1976年に独立したものの、カンボジア侵攻の結果、孤立化し、国際的援助も凍結され、1986年にドイモイ(刷新)政策が始まるまで、食糧難、物資難に苦しみ、米も配給制だった。そんな時代に、家族の生きる糧の米穀通帳をなくしたら、どんなに心もとなかっただろう。「さびしい」どころか、「絶望」的ではないか。再発行してもらおうとすれば、どれほどの面倒が待っていただろうと、勝手に想像した。

ただ、ベトナムでは、貧しさゆえに餓死するなど、なかなか想像し難いことも、暮らすうちに段々わかってきた。つい最近も、ベトナム人の夫を持つ日本人の友人が、「夫の田舎に行って来ました。ライチの季節は終わっていましたが、パパイヤ、釈迦頭、バナナ、ジャックフルーツ、それと勿論、お茶も溢れるほど実っていて、豊かな気持ちになりました。働かなくてもよさそうだなあ、なんて」と書き送ってきたぐらいである。

あの頃のベトナムで「米穀通帳」をなくしたら、確かに懐にひやりと隙間風が吹いただろう。しかし、ハノイで暮らして思うのは、隣人、親戚、そして自然が見殺しにすることもなかっただろうということだ。今では人口に膾炙することも少なくなったという「米穀通帳をなくしたような寂しさ」とは、懐限定の「寂しさ」だったかもしれないと、しみじみ思う。

阿部 由美子(あべ ゆみこ)

東海大学湘南校舎国際教育センター非常勤講師(日本語教育)