初めに言い訳をさせていただきますが,先年『その敬語,相手を不快にさせます』(主婦の友社)という本を出しました。ビジネスの世界で,妙な敬語を使って相手を不快な気分にさせてしまうと,まとまる話もまとまらないという深刻な結果を招きます。
近年,日本語の仕事をしていると相手を不快にするのは,敬語だけでなく,日本語全般に及んでいるのではないかと思うようになりました。そこで,拙著の書名のもじりで恐縮ですが「その日本語相手を不快にします」と題して,日本語の顰蹙用法の例を読み物風に紹介します。
ある日,自宅に電話がかかってきました。若い人の声でした。
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「あのーご主人様でよろしかったでしょうか」
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私は,むっとして,何も言わないで受話器を置こうかと思いましたが,いや,これは成り行きによっては,おもしろい言葉遣いを拾えるかもしれないと思い直して,
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「ご主人様のほうがよろしかったんでしょうか」
「いえぇ,あのぉ,失礼ですが,どなたでございましょうか」
「どなた様でいらっしゃいましょうか,と言いなさいよ」
「はい,どなた様でいらっしゃいましょうか」
「川本でございますが」
「それは分かっているんですが」
「そうでしょうね」
「そのぉ,ご主人様でないとすると」
「わたしはご子息様でございますよ」
「あっ,そうですか。それじゃあ,ご主人様はおられますか」
「ご主人様はいらっしゃいますか,でしょ」
「では,ご主人様はいらっしゃいますか」
「父は,今,寝たきりなんですよ」
「あっ,失礼しました」
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結局,電話の主は,何者とも分からず,用件も言わないままでした。レストランで,「ご注文は,これでよろしかったでしょうか」という言い方を耳にしますが,これを人間様に当てはめられるのはまっぴらごめんですね。
川本 信幹
著書に「日本語 鵜の目鷹の目烏の目」、「みがこう,あなたの日本語力」(以上、東京書籍)、「生きるための日本語力」(明治書院)など。2011年11月逝去