その日本語、相手を不快にします

ちょっと古い話ですが,東北新幹線で,次のような会話を聞きました。

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「ぼく的にはですねぇ,課長のおっしゃる企画にはどうも納得できない部分があるんですよ」

「いや,わたし的には,自信を持てない部分もないわけじゃあないんだよ」

「いえ,気持ち的には理解できる部分もありますけどねぇ」

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これは作り物の会話ではありません。すぐ後ろの座席で,「ぼく的にはですねぇ」が始まった途端に手帳を取り出してメモしたものですから,実際の会話とほとんど同じはずです。まさにこの「ぼく的」「わたし的」「気持ち的」は,顰蹙もの,というより噴飯ものと言うべきでしょう。

それにしてもこの二人の勤めているのはどういう会社なのでしょうか。

部下が上司に向かって「ぼく」と言い,上司が部下に向かって「わたし」と言います。さらに,上司の考えに対して,部下が「気持ち的に理解できる」などと言っていいものでしょうか。

この分では,社内の職階的秩序がよほど緩やかであるか,あるいは会社自体のたがが緩んでいるかのどちらかでしょう。そのどちらでもないとしたら,この二人は,いい大人でありながらよほど語彙が不足しているのでしょう。

近年,若者やテレビに顔を出す人たちが,むやみに「的」「部分」を使いますが,それは単に流行に乗っているだけのことで,それが心ある人たちの冷笑を誘っていることに全く気付いていないのです。

ちなみに,前掲の会話から「的」と適切でない「部分」を使わない形に改めてみましょう。

「わたしとしてはですねぇ,課長のおっしゃる企画にはどうも納得できない点があるんです」

「いや,わたしとしても,自信を持てない部分もないわけじゃないんだけどねぇ」

「いえ,気持ちの上では,共感させていただく点もありますけど」

仕事のための言葉として細心の注意が必要なのは敬語だけではありません。語彙つまり自分の使える言葉の数を増やす努力を忘れないようにしましょう。語彙こそ表現力を豊かにする源泉なのです。

川本 信幹

著書に「日本語 鵜の目鷹の目烏の目」、「みがこう,あなたの日本語力」(以上、東京書籍)、「生きるための日本語力」(明治書院)など。2011年11月逝去

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