その日本語、相手を不快にします

いつぞや、雑誌に連載しているコラムに、銀行や信用金庫や農協などの支店に入ると行員・職員が一斉に「いらっしゃいませ」と声を上げるが、下を向いて仕事をしながら言われても気持ちが通じなくて感じがよくない、と書いたことがあります。

ところが、ずいぶん経ってから、インターネットのブログとやらでひどく叩かれました。無名の筆者は次のようにのたまうのです。

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「あの挨拶には、店内に入ってきた人に、私たちはあなたに注目しているのですよ、という気持ちが含まれている。つまり、犯罪防止の意味があるのである。
そのことを作者は知らないのであろう。上からの目線でしかものを考えない作者に、こんなことが理解できるわけがない」

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そんな気持ちを表現するための挨拶であったとは、私は本当に知りませんでした。

もしこのブログの主の書いていることが本当ならば、犯罪の意図などをまったく持たない善良な客を小馬鹿にした話です。善良なお客様がこのことを知ったら、さぞかし不快な気分になるでしょう。

仮に犯罪防止の意味があるにしても、「いらっしゃいませ」を言うときには、少しでも顔を上げて客に向かって声を出してほしいものです。

店内で所用を済ませ、出入口に向かおうとすると店内から一斉に「ありがとうございました」という声が飛んでくるのも異様です。感謝の言葉を背中に受けたお客様はどういう気持ちで店を出るでしょうか。

私が三十年近くご厄介になっている近所の郵便局の窓口が、例の改革で三分割されています。局員の顔触れは以前と変わらず、客に対する応対もまったく変わりません。

お客が受付の前に立つと、どの窓口の局員も、にっこりして「いらっしゃいませ」、用件の処理が済むと客が前にいる間に、お客の顔を見ながら「ありがとうございました」と挨拶します。

挨拶はコミュニケーションの原点と言われますが、この郵便局の皆さんの挨拶は、まさにコミュニケーションの原点と言っていいでしょう。

ところであなたは、他の社員より先に退社する時、ドアの方向に向かって「お先に失礼します」と言っていませんか。逆に、仕事の手も止めず書類やパソコンのディスプレーを見つめたまま「お疲れさま―」と叫んでいませんか。

川本 信幹

著書に「日本語 鵜の目鷹の目烏の目」、「みがこう,あなたの日本語力」(以上、東京書籍)、「生きるための日本語力」(明治書院)など。2011年11月逝去

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