その日本語、相手を不快にします

電話がかかってきました。

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「いつもお世話になっております。わたくし、○○銀行○○支店の○○と申しますが」

「はて、そちらさまには一向にお世話になっておりませんが」

「いえ、本日は、開店三十周年記念サービスのご案内をさせていただいております」

「口座を持っていない人間にもサービスをしてくれるんですか」

「えっ、口座をお持ちでないんですか。それでは、口座をお作りいただきまして」

「いえ、結構です」

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というところで受話器を置きましたが、誠に奇妙なやりとりでした。

自行の口座を持っていない人間に「いつもお世話になっています」と言う行員は一体どういう神経を持っているのでしょうか。相手が怪訝な思いを抱くであろうかとか、不快感を抱くであろうかという配慮はしないのでしょうか。

本来、言葉というものは、人と人とをつなぎとめるかすがいのようなものです。
(えっ、「かすがい」とはなんだですって?「かすがい」とは両端が直角に折れた金具で、二本の木材を繋ぎとめるのに使います。子は夫婦のかすがい、などと使われます)

この例のように、「いつも、お世話になっています」という挨拶が、本当にお世話になっている相手への感謝の意味を失って形式的に使われている場合が今日では少なくありません。まさに、言葉が死んでしまっているのです。

いつぞや、ある会社へ電話したら、「いつもお世話になっております。○○会社でございます」ときました。その会社では、電話応対のマニュアルにそう書いてあるのでしょうね。

もう一つありました。

ある製薬会社へ電話したら、「いつもご愛用ありがとうございます。○○(その会社の薬の名称)の○○製薬でございます」というご挨拶でした。その薬の名は新聞の広告やテレビのコマーシャルでよく知っていましたが、当方は、別に愛用はしていません。

ずいぶん大きな利益を挙げている会社なのに、やることが少々せこいのではないかと、用件を告げる前に思いました。

人の使う言葉には、その人の温かみがこもっていなければなりません。形骸化したビジネス言葉を使っていないか、検討してみましょう。

川本 信幹

著書に「日本語 鵜の目鷹の目烏の目」、「みがこう,あなたの日本語力」(以上、東京書籍)、「生きるための日本語力」(明治書院)など。2011年11月逝去
*この原稿は、2011年に執筆したものです。

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