日本語クリニック

 親子の会話などで「ゾウさん」のように動物に「さん」をつけることがあります。無制限に使えるわけでもなく、 呉智英 くれともふさ 氏(1946~)は『言葉の煎じ薬』という本の中で、「ウサギさん」はよくても「リス」には「さん」がつかないと述べます。以下では、どういう動物について、「さん」をつけることに抵抗が生じるのかを考えます。

 20代~60代の知人10人に、子や孫と話すときを想定したうえで、その動物に「さん」がつくなら○、迷うなら△、つけにくいなら×というように回答してもらいました。たとえば「ゾウ」は10人ともに○なので「ゾウさん⑩」と記します。「ピューマ⓪」(さんづけ支持が皆無)というふうに「さん」のない形に番号を振る場合もあります。

すでにある「動物+サン」以外は使わない(言語形式の制約)

 童謡や童話に出てきて、世間でよく知られている「動物+サン」は自分でも使うが、それ以外の動物に応用することはしないというものです。たとえば「ゾウさん」は有名な童謡に出てくるので、親としても自身の感覚に頼ることなく「ゾウさん」という呼び方を子どもと共有できます。「森のくまさん」の「くまさん⑩」や「赤鼻のトナカイ」の「トナカイさん⑦」も同じです。

 動物園などで接する動物としてなじみがあるためか、「キリンさん⑩」や「ウサギさん⑨」も「~さん」の支持が高い動物です。一方「ピューマ」や「バイソン⓪」は童謡・童話などのきっかけに乏しく、なじみ度の高い動物とも言えないため、さんづけが浸透しにくいようです。

悪い印象の動物には「さん」をつけない(感情の制約)

 グリム童話の「赤ずきん」に主人公の少女がオオカミと会話する場面があり、少女は「オオカミさん」と呼びます。それをもとに一般の人が「オオカミさん④」を使いだしてもよいはずです。しかしオオカミは悪い動物だから「さん」はつけないと言う人もいます。呉氏が「狐も狸も、見た目は悪くないのに、まず「さん」がつかない。これは民話などで悪役が多いからかもしれない」と述べるのも同様ですが、「キツネさん⑨」は割合高い支持となりました。キツネ(タヌキ)はかわいらしく、または滑稽にえがかれることもありますから「~さん」がおかしくないと考える人もいるようです。

 「ハクビシン⓪」のように、現実社会において害獣扱いの動物には「さん」が合わないとの傾向もあります。

サ行の音に抵抗を覚える(発音の制約1)

 「カバさん⑧」はよくとも「サイさん①」を支持する人はあまりいません。「サイ」の「サ」と「さん」の「サ」というように、語頭にサが二つあることを気にする人もいます(韻を踏んでいるようだ!)。「サルさん」も同様ですが、こちらは「おサルさん」とすることにより、語頭のサが繰り返される感が薄れます。

 「イノシシさん②」(害獣意識も)や「リスさん⑥」もサ行音が障害になるようです。「リスさん」は実際の発音を動物園で聞いていると、人により「すさ」の部分の発音が甘くなり「リッさん」に近くなります(本人の意識では「リスさん」だとしても)。何も発音を変化させてまで「リス」に「さん」をつけることはないと感じる人は「リスさん」は×と判断します。ただし実際に「リスさん」と言う人もいますから、Cはさほど強力な制約ではありません。

長い語にはつけない(発音の制約2)

 2拍の「ゾウ」、3拍の「キリン」、4拍の「ライオン⑧」くらいならよくとも注1、5拍の「ナマケモノ⓪」、6拍の「チンパンジー⓪」、7拍の「オランウータン①」には「さん」がつけにくいというのがDの制約です注2。ただし長いことを苦にしない人もいますから、Cと同じく強い制約とはなりません。人によりけりです。



 以上のA~Dは「動物+サン」を使ううえでの否定的な条件です。一方、たとえ社会的に十分に定着した「動物+サン」ではなくても、キャラクター、商品などとして新たに「~さん」の形が利用され、徐々にその言い方が広まる可能性もあります。たとえば「カピバラさん」はキャラクター名(株式会社バンプレスト、21世紀のもの)としてグッズも売られています。調査対象のN氏(1歳と6歳の子を持つ)は家族全員がカピバラ好きであり、キャラクターの「カピバラさん」も知っているので、さんづけになじみがあるそうです。

 では、そもそもどうして「動物+サン」の範囲が人によりこれほど異なるのでしょうか。

 歌の「ぞうさん」がNHKラジオで初めて放送されたのは1952年、「森の熊さん」(曲に使用される表記)がNHKの「みんなのうた」で放送されたのは1972年のことです。つまり日本でこれらの曲が広まったのは、さほど昔のことではありません。これに関連し前述の呉氏の本には「動物+サン」が広まったのは「ここ三、四十年のことだと記憶する」とあります。こういったことから考えると、動物に「さん」をつける幼児語的な表現が広まったのは戦後のことであり(戦前に「動物+サン」が皆無だと断定はしません)、長い歴史がある表現ではないと考えれば、その定着度合いにばらつきがあることに納得がいきます。

 歌の影響を受けて「ゾウさん」を自身のことばとして取り入れる人がいる一方で、その人の世代や性格によっては「動物+サン」をよしとしない場合もあります。戦前の親(特に父親)は怖い存在であり、子どものしつけにも厳しいものがありました。それゆえそのような時代に生まれ育った人は、「ゾウさん」を自分の子どもと共有するなどということは好まなかったことでしょう。戦後生まれであっても、子どもを厳しく育てる方針を持つ親であれば、いずれ大人と同じように「ゾウ」「キリン」と呼ぶようになるわけだから、最初から「~さん」は使わせずに育てるということもあるでしょう。人名に「さん」をつけるのと同じような法則性が得られないのは、このような事情(世代差、家庭環境etc.)が背景にあるからです。人の場合は「佐々木さん」のようにサ行が連続しても、「 大豆生田 おおまみゅうだ さん」のように長い名字であっても、丁寧に言う際は「さん」が必要であり、個人の裁量が入る余地がないのと対照的です。

 ここでは大人の立場から「動物+サン」について考えましたが、当の幼児は、どの程度「動物+サン」を使うでしょうか。無制限に「さん」をつけるか、親の影響を受けて控えめになるか、子どもの性格により「さん」の使用範囲に差が出るかどうかなどを知りたいところです。子育て中の研究者にとって格好の研究テーマとなります。

注1 「ゾ・ウ」は2拍、「キ・リ・ン」は3拍と数えます。一つのかなが1拍に相当しますが、「ヒョ・ウ」「ピュ・ー・マ」のように、よう音が含まれる場合は、2字で1拍です。「拍(はく)」は日本語の音を数える助数詞です。

注2 4拍でも「ライオン」「トナカイ」と「アルパカ④」「カピバラ⑤」とを比べると、後者のほうが長いと感じる人もいます。「ライオン」のライ、オン、「トナカイ」のカイは、母音が連続したり長音があったりします。その2拍は一気に発音され、短く感じられうるのに対し、「アルパカ」「カピバラ」には、そのような音がなく、一つ一つの音を同じ長さで発音する感覚になるので、相対的に「ライオン」より「アルパカ」のほうが長いとの印象が持たれる可能性があります。

参考文献 呉智英(2010)『言葉の煎じ薬』双葉社

中川秀太

文学博士、日本語検定 問題作成委員

専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。

最近の研究
「現代語における動詞の移り変わりについて」(『青山語文』51、2021年)
「国語辞典の語の表記」(『辞書の成り立ち』2021年、朝倉書店)
「現代の類義語の中にある歴史」(『早稲田大学日本語学会設立60周年記念論文集 第1冊』2021年、ひつじ書房)など。

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