以下では、主に女の人が使う一人称について考えます。
まず用語を確認します。ここでは男女の総称として、「男の人」「女の人」を使い、未成年の場合は「男子」「女子」、成年の場合は「男性」「女性」というように使い分けます。
インフォーマルな一人称にはオレ・ボクがありますが、もっぱら男の人が使います注1。女の人にはアタシがありますが、今の大学生などに聞くとアタシは使いにくいとの意見が出ることが多くなりました。「甘えた感じがする」といった理由から使用をさけるようです。アタシが衰退すると、女子用のインフォーマルな一人称がなくなります。関西方言に由来するウチが東京などでも使われるようになった背景には、こういう事情があるはずです。ウチに関する指摘として早いものは2000年代の前半に見られます。東京の女子高校生がウチを使うことが2002年8月4日の毎日新聞で指摘され、また、記者の5歳の娘がウチと自分のことを呼び始めたことが2004年8月4日の読売新聞で話題となっています。その後、ウチの使用が伸びます。ところが2022年現在の大学生からはウチは子どもの頃はやった言い方であり、成長するにつれ使わなくなったとか、弟や妹は使わないとかいった話を聞きます。代わりにコッチ・ソッチをワタシ・アナタの意味で使うという人もいます。ウチはオレ・ボクと同じようには定着せずに終わる可能性が出てきました。
最近はウチと同じく関西起源のワイが女子・若い女性によってインターネットなどで使われます(オイラなども)。使用者にとっては性別が相手に特定されないメリットもあるようです。ただしワイは「①(主として関西地方で)一人称。わし」(『大辞林 第4版』)と記述されるように、男性の老人が使う(またはかつて使っていた)ワシと似た語ですから、日常会話での使用にも耐える一般的な一人称にはなりにくいと予想します。
女性アイドルなどの歌う曲の歌詞にボクが用いられることがありますが、そこではボクは男性のようにふるまうためではなく、ワタシと同様、男女兼用の一人称として使っている(使いたい)、という印象を受けます。しかし歌の中ではボクが現れても、現実に女子が日常的にボクを使おうとすれば、親や教師などから何かしらの批判的な指摘を受けるでしょうから、やはり一般化はしにくいと思います。
このような現実を踏まえると、女子が自分のことを名前で呼ぶことの意味が理解できます。つまりインフォーマルな一人称が使いたいと思っても、女子にはそれがない、ならば一人称代名詞の代わりに自分の名前を使うということです。大人からするとワタシで十分ではないかと思うかもしれませんし、実際に女子の中には最初からワタシを使い、特に疑問はいだかない人もいます。しかし中にはワタシは大人が使う語であり、小中学生の自分にとって、気軽に使える語ではないと感じる人がいることも事実です。そのような気持ちをいだいたとき、大人なら(あまり)しないはずの「自分の名前で自分を呼ぶ」という行為をあえてすることによって、オレ・ボクと同等のインフォーマルな言い方を手に入れたことになります。大人になってからも自分の名前で呼ぶ人がいるのは、場面によってワタシと自分の名前を使い分けるのが便利に感じるからでしょう。
なおたとえば2拍の「えみ」「ゆき」であれば、そのまま名前が一人称として使われ、3拍の「あゆみ」「しょうこ」「ななこ」「ひかり」であれば、そのまま使われるか、名前によっては「あゆ」「なな」のように2拍に短縮されるかします。くだけた言い方としては2拍にしたほうが使い勝手がよいということでしょうが、「しょうこ→しょう」「ひかり→ひか」のように短縮した形が男子の名前に間違えられる恐れがあったり、元の名前が復元しにくかったりするのであれば、そのままの形で使われます注2。
以上から言えることは、女子がウチを使ったり自分の名前を代名詞代わりに用いたりするのは別に不可解なことではなく、自分にはワタシが合わないと感じる女子が、自身にとって、しっくりくる言い方を模索した結果であるということです。ウチが衰退しつつあるのであれば、今後、何か新しい言い方が求められるかもしれませんし、それが無理なら自分の名前を使うということがさらに広まるかもしれません。
世の中の多くの人にとって、男女ともに安らかに一人称が使える社会になることが望ましいとするならば、以下の方法を試みてもよいのではないかと本コラムの筆者は考えます。
かつて1952年に「これからの敬語」(国語審議会建議)の中で「自分をさすことば」は「「わたし」を標準とする」こととされ、公的には「ぼく」や「自分」を使うことをさけるべきであることが示されたことがあります。このような基準を改めて国が提示すべきではないかというのがA案です。敬語については「敬語の指針」(2007)が事実上の基準となっていますが、人を指すことばについては基準が出ていません。
B案は、かつて農村の女性などはオレを一般的に用いていたことを考えれば、あながち非現実的なことではないように思います。要は、日本社会にそのような変化を受け入れる度量があるかどうかという話に行き着きます。
A案、B案いずれについても公的に保障するなどと堅苦しいことは言わず、本人の自由に任せればいいではないかという意見もあるかもしれません。しかし、ほかの人と違うことをする人間に対して、いわゆる同調圧力が強く働く日本社会においては、どうしても人は周りの目を気にせざるをえず、自由に選ぶということは難しくなります。そうであるならば、いくつもある選択肢の中から個人が選ぶ必要などない状態に整えたり、使い分けの基準を示して、個人がそれに基づいてことばを使えるようにしたりすることを国が工夫するというのが望ましいと筆者は考えます(Iのみを使えば済む英語のような言語にも、自分の名前を使いたくなるというような悩みが生じるのかどうかについては、寡聞にして知りません)。
以上に対して、Cはもっとも現実化しやすい案かもしれません。なぜならワタシ・ワタクシを使うようになるまでの間、女子が「自分の名前で自分を呼ぶ」ことを静かに見守るという態度を周りの大人や男子が持てさえすれば済むからです。特に男の人は、自分はオレ・ボクを使って快適に過ごしているわけですから、そのことについて、なんだか女の人に申し訳ないなあという気持ちを持ってもよい、こんなふうに思いませんか。
注1 ここでは、一般的な男女の使い分けを述べることを目的とするので、性的マイノリティーの人々がどのように使い分けるかといったことは議論しません。
注2 いくつかの言語について一人称の言い方を確認すると、ウェールズ語はイ、エスペラント語はミ、オランダ語はイク、マラウイのチェワ語はイネ、ドイツ語はイ(ッ)ヒ、トルコ語はベン、フランス語はジュ、ロシア語はヤー、というように、カタカナにしてみると、はっきり3拍になるワタシと比べて短いなという印象です。
中川秀太
文学博士、日本語検定 問題作成委員
専攻は日本語学。文学博士(早稲田大学)。2017年から日本語検定の問題作成委員を務める。